永井荷風『濹東綺譚』

濹東綺譚ぼくとうきだん
  永井荷風

 わたくしはほとんど活動写真を見に行ったことがない。
 おぼろ気な記憶きおくをたどれば、明治三十年ころでもあろう。神田錦町にしきちようにあった貸席錦輝館きんきかんで、サンフランシスコ市街の光景を写したものを見たことがあった。活動写真という言葉のできたのも恐らくはその時分からであろう。それから四十余年を過ぎた今日こんにちでは、活動ということばは既にすたれて他のものにかええられているらしいが、初めて耳にしたものの方が口馴れて言いやすいから、わたくしは依然としてむかしの廃語をここに用いる。
 震災ののち、わたくしの家に遊びに来た青年作家の一人が、時勢におくれるからと言って、無理やりにわたくしを赤坂溜池ためいけの活動小屋に連れて行ったことがある。何でもその頃非常に評判の好いものであったというが、見ればモオパッサンの短編小説を脚色したものであったので、わたくしはあれなら写真をるにも及ばない。原作をよめばいい。その方がもっと面白いと言ったことがあった。
 しかし活動写真は老弱ろうにゃくわかちなく、今の人の喜んでこれを見て、日常の話柄わへいにしているものであるから、せめてわたくしも、人が何の話をしているのかというくらいの事は分かるようにして置きたいと思って、活動小屋の前を通りかかる時には看板の画と名題とにはつとめて目を向けるように心がけている。看板を一瞥いちべつすれば写真を見ずとも脚色の梗概も想像がつくし、どういう場面が喜ばれているかという事も会得えとくせられる。
 活動写真の看板を一度に最多もつともく一瞥する事のできるのは浅草公園である。ここへ来ればあらゆる種類のものを一ト目に眺めて、おのずからその巧拙をも比較することができる。わたくしは下谷したや浅草の方面へ出掛ける時には必ず思出して公園に入り杖を池のふちく。
 夕風も追々寒くなって来た或日のことである。一軒一軒入口の看板を見尽して公園のはずれから千束町せんぞくまちへ出たので。右の方は言問橋ことといばし左の方は入谷町いりやまち、いずれの方へ行こうかと思案しながら歩いて行くと、四十前後の古洋服を着た男がいきなり横合いから現れ出て、
檀那だんな、御紹介しましょう。いかがです。」と言う。
「イヤありがとう。」といって、わたくしは少し歩調を早めると、
「絶好のチャンスですぜ。猟奇的ですぜ。檀那。」といっていて来る。
「いらない。吉原よしわらへ行くんだ。」
 ポンびきというのか、源氏というのかよく知らぬが、とにかく怪し気な勧誘者を追払うために、わたくし口から出まかせに吉原へ行くと言ったのであるが、行先のさだまらない散歩の方向は、かえってこれがために決定せられた。歩いて行くうちわたくしは土手下の裏町に古本屋を一軒知っていることを思出した。
 古本屋の店は、山谷掘さんやぼりの流が地下の暗渠あんきよに接続するあたりから、大門前日本堤橋おおもんまえにほんづつみばしのたもとへ出ようとする薄暗い裏通にある。裏通は山谷掘の水に沿うた片側町で、対岸は石垣の上に立続く人家の背面に限られ、こなたは土管、地瓦じがわら、川土、材木などの問屋が人家の間にやや広い店口を示しているが、堀の幅の狭くなるにつれて次第に貧気まずしげ小屋こいえがちになって、夜は堀にかけられた正法寺橋しようほうじばし山谷橋さんやばし地方橋じかたばし髪洗橋かみあらいばしなどいう橋のがわずかに道を照らすばかり。堀もつき橋もなくなると、人通りも共に途絶えてしまう。この辺で夜も割合におそくまであかりをつけている家は、かの古本屋と煙草を売る荒物屋ぐらいのものであろう。
 わたくしは古本屋の名は知らないが、店に積んである品物は大抵知っている。創刊当時の『文芸倶楽部』か古い『やまと新聞』の講談附録でもあれば、意外の掘出物だと思わなければならない。しかしわたくしがわざわざ廻り道までして、この店をたずねるのは古本のためではなく、古本をひさぐ亭主の人柄と、廓外くるわそとの裏町という情味とのためである。
 主人あるじは頭を奇麗きれいった小柄の老人。年は無論六十を越している。その顔立、物腰、言葉使から着物の着様に至るまで、東京の下町生粋きつすいの風俗を、そのまま崩さずに残しているのが、わたくしの眼には稀覯きこうの古書よりもむしろ尊くまた懐しく見える。震災のころまでは芝居や寄席よせの楽屋に行くと一人や二人、こういう江戸下町の年寄に逢うことができた――たとえば音羽屋おとわや男衆おとこしゆ溜爺とめじいやだの、高嶋屋たかしまやの使っていた市蔵いちぞうなどいう年寄たちであるが、今はいずれもあの世へ行ってしまった。
 古本屋の亭主は、わたくしが店先の硝子ガラス戸をあける時には、いつでもきまって、中仕切なかじきりの障子際にきちんと坐り、円い背を少しななめに外の方へ向け、鼻の先へ落ちかかる眼鏡をたよりに、何か読んでいる。わたくしの来る時間も大抵夜の七、八時ときまっているが、その度ごとに見る老人としよりの坐り場所もその形も殆どきまっている。戸の明く音に、折かがんだまま、首だけひょいとこなたへ向け、「おや、いらっしゃいまし。」と眼鏡をはずし、中腰になって坐布団の塵をぽんと叩き、うような腰付で、それを敷きのべながら、さて丁寧に挨拶をする。その言葉も様子もまた型通りに変りがない。
「相変らず何も御座ません。お目にかけるようなものは。そうそうたしか『芳譚ほうだん雑誌』がありました。揃っちゃおりませんが。」
為永春江ためながしゆんこうの雑誌だろう。」
「へえ。初号がついておりますから、まアお目にかけられます。おや、どこへ置いたかな。」と壁際に積重ねた古本の間から合本がつぽん五、六冊を取出し、両手でぱたぱた塵をはたいて差出すのを、わたくしは受取って、
「明治十二年御届としてあるね。この時分の雑誌をよむと、生命いのちのびるような気がするね。『魯文珍報ろぶんちんぽう』も全部揃ったのがあったら欲しいと思っているんだが。」
「時々出るにゃ出ますが、大抵ばらばらで御座いましてな。檀那、『花月新誌かげつしんし』はお持合わせでいらっしゃいますか。」
「持っています。」
 硝子戸の明く音がしたので、わたくしは亭主と共に見返ると、これも六十あまり。頬のこけた禿頭はげあたまの貧相な男が汚れたしまの風呂敷包を店先に並べた古本の上へ卸しながら、
「つくづく自動車はいやだ。今日はすんでの事に殺されるところさ。」
「便利で安くってそれで間違いがないなんて、そんなものは滅多にないよ。それでも、お前さん。怪我ァしなさらなかったか。」
「おまもりが割れたおかげで無事だった。衝突したなア先へ行くバスと円タクだが、思出してもぞっとするね。実は今日はといちへ行ったんだがね、妙な物を買った。昔の物はいいね。さし当り捌口はけくちはないんだが見るとつい道楽がしたくなる奴さ。」
 禿頭は風呂敷包を解き、女物らしい小紋の単衣ひとえ胴抜どうぬき長襦袢ながじゆばんを出して見せた。小紋は鼠地の小浜おはまちりめん、胴抜の袖にした友禅染もちょっと変わったものではあるが、いずれも維新前後のものらしく特に古代というほどの品ではない。
 しかし浮世絵肉筆物にくひつものの表装とか、近頃はやる手文庫の中張うちばりとか、また草双紙くさぞうしちつなどに用いたら案外いいかも知れないと思ったので、その場の出来心からわたくしは古雑誌の勘定をするついでに胴抜の長襦袢一枚を買取り、坊主頭の亭主が『芳譚雑誌』の合本と共に紙包にしてくれるのを抱えて外へ出た。
 日本堤を往復する乗合のりあい自動車に乗るつもりで、わたくしはしばらく大門前の停留場ていりゆうばに立っていたが、流しの円タクに声をかけられるのがうるさいので、もと来た裏通へ曲り、電車と円タクの通らない薄暗い横町をえらみ択み歩いて行くと、たちまち樹の間から言問橋のあかりが見えるあたりへ出た。川端の公園は物騒だと聞いていたので、川の岸までは行かず、電燈の明るい小径こみちに沿うて、鎖の引廻してあるその上に腰をかけた。
 実はこっちへの来がけに、途中で食麺麭しよくパン鑵詰かんづめとを買い、風呂敷へ包んでいたので、わたくしは古雑誌と古着とを一つに包み直して見たが、風呂敷がすこし小さいばかりか、堅い物と柔いものとはどうも一緒にはうまく包めない。結局鑵詰だけは外套がいとうのかくしに収め、残の物を一つにした方が持ちよいかと考えて、芝生の上に風呂敷をたいらにひろげ、しきり塩梅あんばいを見ていると、いきなりうしろの木陰から、「おい、何をしているんだ。」といいさま、サアベルの音と共に、巡査が現れ、猿臂えんぴを伸してわたくしの肩を押えた。
 わたくしは返事をせず、静に風呂敷の結目を直して立上がると、それさえ待どしいといわぬばかり、巡査は後からわたくしのひじを突き、「そっちヘ行け。」
 公園の小径をすぐさま言問橋の際に出ると、巡査は広い道路の向側にある派出所へ連れて行き立番の巡査にわたくしを引渡したまま、いそがしそうにまた何処どこへか行ってしまった。
 派出所の巡査は入口に立ったまま、「今時分、何処から来たんだ。」と尋問に取りかかった。
むこうの方から来た。」
「向の方とはどっちの方だ。」
「堀の方からだ。」
「堀とはどこだ。」
真土山まつちやまふもとの山谷掘という川だ。」
「名は何という。」
大江匡おおえただす。」と答えた時、巡査は手帳を出したので、「ただすはこに王の字をかきます。一タビ天下ヲ匡スと『論語』にある字です。」
 巡査はだまれと言わぬばかり、わたくしの顔をにらみ、手を伸ばしていきなりわたくしの外套のぼたんをはずし、裏を返して見て、
記号しるしはついていないな。」つづいて上着の裏を見ようとする。
記章しるしとはどういう記章です。」とわたくしは風呂敷包を下に置いて、上着と胴着チヨツキの胸を一度にひろげて見せた。
「住所は。」
「麻布区御箪笥町おたんすまち一丁目六番地。」
「職業は。」
なんにもしていません。」
「無職業か。年はいくつだ。」
己のつちのとです。」
「いくつだよ。」
「明治十二年己の卯の年。」それきり黙っていようかと思ったが、後がこわいので、「五十八。」
「いやに若いな。」
「へへへへ。」
「名前は何といったね。」
「今言いましたよ。大江匡。」
「家族はいくたりだ。」
「三人。」と答えた。実は独身であるが、今日こんにちまでの経験で、事実をいうと、いよいよ怪しまれる傾がかたむきあるので、三人と答えたのである。
「三人というのは奥さんと誰だ。」巡査の方がいい様に解釈してくれる。
かかアとばばア。」
「奥さんはいくつだ。」
ちょっとこまったが、四、五年前までしばらく関係のあった女の事を思出して、「三十一。明治三十九年七月十四日生丙午ひのえうま……。」
 もし名前をきかれたら、自作の小説中にある女の名を言おうと思ったが、巡査はなんにもいわず、外套や背広のかくしを上から押え、
「これは何だ。」
「パイプに眼鏡。」
「うむ。これは。」
「鑵詰。」
「これは、紙入れだね。ちょっと出して見せたまえ。」
「金が入っていますよ。」
「いくら這入はいっている。」
「サア二、三十円もありましょうかな。」
 巡査は紙入を抜き出したが中は改めずに電話機の下に据えた卓子テイブルの上に置き、「その包は何だ。こっちへ這入ってほどいて見せたまえ。」
 風呂敷包を解くと紙につつんだ麺麭と古雑誌まではよかったが、胴抜のなまめかしい長襦袢の片袖がだらりと下るや否や、巡査の態度と語調は忽一たちまち変して、
「おい、妙なものを持っているな。」
「いや、ははははは。」とわたくしは笑い出した。
「こりゃア女のきるもんだな。」巡査は長襦袢を指先につまみ上げて、燈火あかりにかざしながら、わたくしの顔を睨み返して、「どこから持って来た。」
「古着屋から持って来た。」
「どうして持って来た。」
「金を出して買った。」
「それはどこだ。」
「吉原の大門前。」
「いくらで買った。」
「三円七十銭。」
 巡査は長襦袢を卓子の上に投捨てたなり黙ってわたくしの顔を見ているので、大方警察署へ連れて行って豚箱へ投込むのだろうと、はじめのようにからかう勇気がなくなり、こっちも巡査の様子を見詰めていると、巡査はやはりだまったままわたくしの紙入を調べ出した。紙入には入れ忘れたまま折目の破れた火災保険の仮証書と、何かの時に入用であった戸籍抄本に印鑑証明書と実印とが這入っていたのを、巡査は一枚一枚静にのべひろげ、それから実印を取って篆刻てんこくした文字を燈火にかざして見たりしている。大分暇がかかるので、わたくしは入口に立ったまま道路の方へ目を移した。
 道路は交番の前で斜に二筋に分れ、その一筋は南千住みなみせんじゅ、一筋は白髯橋しらひげばしの方へ走り、これと交叉こうさして浅草公園裏の大通が言問橋を渡るので、交通は夜になってもなかなか頻繁であるが、どういうことか、わたくしの尋問されるのを怪しんで立止る通行人は一人もない。向側の角のシャツ屋では女房らしい女と小僧とがこっちを見ていながら更に怪しむ様子もなく、そろそろ店をしまいかけた。
「おい。もういいからしまいたまえ。」
「別に入用なものでもありませんから……。」つぶやきながらわたくしは紙入をしまい風呂敷包をもとのように結んだ。
「もう用はありませんか。」
「ない。」
「御苦労さまでしたな。」わたくしは巻煙草も金口きんぐちのウェストミンスターにマッチの火をつけ、かおりだけでもかいで置けといわぬばかり、けむりを交番の中へ吹き散して足の向くまま言問橋の方へ歩いて行った。後で考えると、戸籍抄本と印鑑証明書がなかったなら、大方その夜は豚箱へ入れられたに相違ない。一体古着は気味のわるいものだ。古着の長襦袢がたたりそこねたのである。

      二

 『失踪しっそう』と題する小説の腹案ができた。書き上げることができたなら、この小説はわれながら、さほど拙劣なものでもあるまいと、幾分か自身を持っているのである。
 小説中の重要な人物を、種田順平たねだじゆんぺいという。年五十余歳、私立中学校の英語の教師である。
 種田は初婚の恋女房に先立たれてから三、四年にして、継妻光子けいさいみつこを迎えた。
 光子は知名の政治家某のなにがし家に雇われ、夫人付の小間使となったが、主人に欺かれて身重になった。主家ではその執事遠藤某をして後の始末をつけさせた。その条件は光子が無事に産をしたなら二十個年子供の養育費として毎月五拾円を送る。その代り子供の戸籍については主家では全然あずかり知らない。また光子が他へ嫁する場合には相当の持参金を贈るというような事であった。
 光子は執事遠藤の家へ引取られ男の児を産んで六十日たつか経たぬうちやはり遠藤の媒介で中学校の英語教師種田順平なるものの後妻となった。時に光子は十九、種田は三十歳であった。
 種田は初めの恋女房を失ってから、薄給な生活の前途に何の希望をも見ず、中年にちかづくに従って元気のない影のような人間になっていたが、旧友の遠藤に説きすすめられ、光子母子おやこの金にふと心が迷って再婚をした。その時子供は生れたばかりで戸籍の手続もせずにあったので、遠藤は光子母子の籍を一緒に種田の家に移した。それ故のちになって戸籍を見ると、種田夫婦は久しく内縁の関係をつづけていた後、長男が生れたため、初めて結婚入籍の手続をしたもののように思われる。
 二年たって女の児が生れ、つづいてまた男の児が生れた。
 表向おもてむきは長男で、実は光子の連子つれこになる為年ためとしが丁年になった時、多年秘密の父から光子の手許に送られていた教育費が途絶えた。約束の年限が終ったばかりではない。実父は先年病死し、その夫人もまたつづいて世を去った故である。
 長女芳子と季児為秋すえこためあきの成長するに従って生活費は年々多くなり、種田は二、三軒夜学校を掛持ちして歩かねばならない。
 長男為年は私立大学に在学中、スポーツマンとなって洋行する。妹芳子は女学校を卒業するや否や活動女優の花形となった。
 継妻光子は結婚当時は愛くるしい円顔であったのがいつか肥満したばばとなり、日蓮宗に凝りかたまって、信徒の団体の委員に挙げられている。
 種田の家は或時はさなが講中こうじゆうの寄合所、或時は女優の遊び場、或時はスポーツの練習場もよろしくという有様。その騒しさには台所にも鼠が出ないくらいである。
 種田はもともと気の弱い交際嫌いな男なので、年を取るにつれて家内の喧騒には堪えられなくなる。妻子の好むものは悉くことごと種田の好まぬものである。種田は家族の事についてはつとめて心を留めないようにした。おのれの妻子を冷眼にるのが、気の弱い父親のせめてもの復讐であった。
 五十一歳の春、種田は教師の職をめられた。退職手当を受取ったその日、種田は家にかえらず、跡をくらましてしまった。
 これより先、種田はかってその家に下女奉公に来た女すみ子と偶然電車の中で邂逅かいこうし、その女が浅草駒形町こまがたまちのカフェーに働いている事を知り、一、二度おとずれてビールのえいを買った事がある。
 退職手当の金をふところにしたその夜である。種田ははじめて女給すみ子の部屋借をしているアパートに行き、事情を打明けて一晩泊めてもらった……。

        *

 それから先どういう風に物語の結末をつけたらいいものか、わたくしはまだ定案を得ない。
 家族が捜索願を出す。種田が刑事に捕えられて説諭せられる。中年後に覚えた道楽は、むかしから七ツ下りの雨にたとえられているから、種田の末路はわけなくどんなにでも悲惨にすることが出来るのだ。
 わたくしはいろいろに種田の堕落して行く道筋と、その折々の感情とを考えつづけている。刑事につかまって拘引されて行く時の心持、妻子に引渡された時の当惑と面目なさ。その身になったらどんなものだろう。わたくしは山谷さんやの裏町で女の古着を買った帰り道、巡査につかまり、路端みちばたの交番で厳しく身元を調べられた。この経験は種田の心理を描写するには最も都合の好い資料である。
 小説をつくる時、わたくしの最も興を催すのは、作中人物の生活及び事件が開展する場所の選択と、その描写とである。わたくしはしばしば人物の性格よりも背景の描写に重きを置き過るような誤にあやまり陥ったこともあった。
 わたくしは東京市中、古来名勝の地にして、震災ののち新しき町が建てられて全く旧観を失った、その状況を描写したいがために、種田先生の潜伏する場所を、本所ほんじよか深川か、もしくは浅草のはずれ、さなくば、それに接した旧郡部の陋巷ろうこうに持って行くことにした。
 これまで折々の散策に、砂町や亀井戸や、小松川、寺島町てらじままちあたりの景況には大略通じているつもりであったが、いざ筆を着けようとすると、にわかに観察の至らない気がして来る。かって、(明治三十五、六年の頃)わたくしは深川洲崎遊郭すさきゆうかく娼妓しようぎを主題にして小説をつくった事があるが、その時これを読んだ友人から、「洲崎遊郭の生活を描写するのに、八、九月頃の暴風雨や海嘯つなみのことを写さないのは杜撰ずさん甚しはなはだいものだ。作者先生のお通いなすった甲子楼きのえねろうの時計台が吹倒されたのも一度や二度のことではなかろう。」と言われた。背景の描写を精細にするには季節と天候とにも注意しなければならない。例えば、ラフカジオ、ハーン先生の名著チタあるいはユーマの如くに。
 六月末の或夕方である。梅雨ばいうはまだ明けてはいないが、朝から好く晴れた空は、日の長いころの事で、夕飯をすましても、まだたそがれようともしない。わたくしははしくと共にすぐさま門を出で、遠く千住せんじゆなり亀井戸なり、足の向く方へ行って見るつもりで、一先ひとまず電車で雷門かみなりもんまでくと、丁度折好く来合わせたのは寺島玉の井としてある乗合のりあい自動車である。
 吾妻橋あづまばしをわたり、広い道を左に折れて源森橋げんもりばしをわたり、真直に秋葉神社の前を過ぎて、またしばらく行くと車は線路の踏切でとまった。踏切の両側にはたなを前にして円タクや自転車が幾輌となく、貨物列車のゆるゆる通り過るのを待っていたが、歩く人は案外少く、貧家の子供が幾組となくむれをなして遊んでいる。降りて見ると、白髯橋しらひげばしから亀井戸の方へ走る広い道が十文字に交錯している。ところどころ草の生えた空地あきちがあるのと、家並やなみが低いのとで、との道も見分のつかぬほど同じように見え、行先はどこへ続くのやら、何となく物淋しい気がする。
 わたくしは種田先生が家族を棄てて世を忍ぶ処を、この辺の裏町にして置いたら、玉の井の盛場さかりばも程近いので、結末の趣向をつけるにも都合がよかろうと考え、一町ほど歩いて狭い横道へ曲って見た。自転車も小脇に荷物をつけたものは、れちがう事が出来ないくらいな狭い道で、五、六歩行くごとに曲っているが、両側とも割合に小奇麗こぎれい耳門くぐりもんのある借家が並んでいて、勤先からの帰りとも見える洋服の男や女が一人二人づつ前後して歩いて行く。遊んでいる犬を見ても首輪に鑑札がつけてあって、さほどきたならしくもない。忽にたちまちして東武とうぶ鉄道玉の井停車場の横手に出た。
 線路の左右に樹木の鬱然うつぜん生茂おいしげった広大な別荘らしきものがある。吾妻橋からここに来るまで、このように老樹の茂林もりんをなした処は一箇所もない。いずれも久しく手入をしないと見えて、いのぼる蔓草つるくさの重さに、竹薮たけやぶの竹の低くしなっているさまや、溝際どぶぎわの生垣に夕顔の咲いたのが、いかにも風雅に思われてわたくしの歩みを引止ひきとどめた。
 むかし白髯さまのあたりが寺島村だという話をきくと、われわれはすぐに五代目菊五郎の別荘を思出したものであるが、今日こんにちたまたまこの処にこのような庭園が残ったのを目にすると、そぞろに過ぎ去った時代の文雅を思起さずにはいられない。
 線路に沿うて売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋のかかった土手際に達している。去年頃まで京成けいせい電車の往復していた線路の跡で、崩れかかった石段の上には取払われた玉の井停車場の跡が雑草におおわれて、こなたから見ると城址しろあとのような趣をなしている。
 わたくしは夏草をわけて土手に登って見た。眼の下には遮るものもなく、今歩いて来た道と空地と新開の町とが低く見渡されるが、土手の向側は、トタン葺の陋屋ろうおくが秩序もなく、はてしもなく、ごたごたに建て込んだ間から湯屋の烟突えんとつ屹立きつりつして、その傾きになな八日ようか頃の夕月がかかっている。空の一方には夕栄ゆうばえの色が薄く残っていながら、月の色には早くも夜らしい輝きができ、トタン葺の屋根の間々からはネオンサインの光と共にラディオの響が聞え初める。
 わたくしは脚下あしもとの暗くなるまで石の上に腰をかけていたが、土手下の窓々にも灯がついて、むさくるしい二階のなかがすっかり見下されるようになったので、草の間に残った人の足跡を辿たどって土手を降りた。すると意外にも、其処そこはもう玉の井の盛場を斜に貫く繁華な横丁の半程なかほどで、ごたごた建て連った商店の間の路地口には「ぬけられます」とか、「安全通路」とか、「京成バス近道」とか、あるいは「オトメ街」あるいは「賑本通にぎわいほんどおり」など書いた灯がついている。
 大分その辺を歩いた後、わたくしは郵便箱の立っている路地口の煙草屋で、煙草を買い、五円札の剰銭つりを待っていた時である。突然、「降ってくるよ。」と叫びながら、白い上っ張を着た男が向側のおでん屋らしい暖簾のれんのかげに駆け込むのを見た。つづいて割烹着かつぽうぎの女や通りがかりの人がばたばた駆け出す。あたりが俄に物気立ものけだつかと見る間もなく、吹落ふきおちる疾風に葭簀よしずや何かの倒れる音がして、紙屑と塵芥ごみとがもののように道の上を走って行く。やがて稲妻が鋭くひらめき、ゆるやかならいの響につれて、ポツリポツリと大きな雨の粒が落ちて来た。あれほど好く晴れていた夕方の天気は、いつの間に変ってしまったのである。
 わたくしは多年の習慣で、傘を持たずに門を出ることは滅多にない。いくら晴れていても入梅中のことなので、その日も無論傘と風呂敷とだけは手にしていたから、さして驚きもせず、静にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方うしろから、「檀那だんな、そこまで入れてってよ。」といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。油の匂で結ったばかりと知られる大きな潰島田つぶしには長目に切った銀糸ぎんしをかけている。わたくしは今方いまがた通りがかりに硝子がらす戸を明け放した女髪結おんなかみゆいの店のあった事を思出した。
 吹き荒れる風と雨とに、結立ゆいたてまげにかけた銀糸の乱れるのが、いたいたしく見えたので、わたくしは傘をさし出して、「おれは洋服だからかまわない。」
 実は店つづきのあかるい燈火に、さすがのわたくしも相合傘あいあいがさには少しく恐縮したのである。
「じゃ、よくって。すぐ、そこ。」と女は傘のにつかまり、片手に浴衣ゆかたの裾を思うさままくり上げた。

      三

 稲妻がまたぴかりとひらめき、かみなりがごろごろと鳴ると、女はわざとらしく「あら」と叫び、一歩ひとあし後れて歩こうとするわたくしの手を取り、「早くさ。あなた。」ともう馴れ馴れしい調子である。
「いいから先へお出で。ついて行くから。」
 路地へ這入はいると、女は曲るたびごとに、迷わぬようにわたくしの方に振返りながら、やがてどぶにかかった小橋をわたり、軒並のきなみ一帯に葭簀よしず日蔽ひおいをかけた家の前に立留たちどまった。
「あら、あなた。大変に濡れちまったわ。」と傘をつぼめ、自分のものよりも先に掌でてのひらわたくしの上着のしずくを払う。
「ここがお前のうちか。」
「拭いて上げるから、寄っていらっしゃい。」
「洋服だからいいよ。」
「拭いて上げるっていうのにさ。わたしだってお礼がしたいわよ。」
「どんなお礼だ。」
「だから、まアお這入んなさい。」
 雷の音は少し遠くなったが、雨はかえってつぶてを打つように一層激しく降りそそいで来た。軒先に掛けた日蔽の下にいても跳上はねあが飛沫しぶきはげしさに、わたくしはとやかく言ういとまもなく内へ這入った。
 荒い大阪格子おおさかごうしを立てた中仕切なかじきりへ、鈴のついたリボンのすだれが下げてある。その下の上框あがりがまちに腰をかけて靴を脱ぐうちに女は雑巾ぞうきんで足をふき、端折はしおった裾もおろさず下座敷の電燈をひねり、
「誰もいないから、お上んなさい。」
「お前一人か。」
「ええ。昨夜ゆうべまで、もう一人いたのよ。住替すみかえに行ったのよ。」
「お前さんが御主人かい。」
「いいえ。御主人は別のうちよ。玉の井館ッていう寄席よせがあるでしょう。その裏に住宅すまいがあるのよ。毎晩十二時になると帳面を見にくるわ。」
「じゃアのん気だね。」わたくしはすすめられるがまま長火鉢の側に坐り、立膝たてひざして茶を入れる女の様子を見やった。
 年は二十四、五にはなっているであろう。なかなかいい容貌きりようである。鼻筋の通った円顔は白粉焼おしろいやけがしているが、結立ゆいたてての島田の生際はえぎわもまだ抜上ぬけあがってはいない。黒目がちの眼の中も曇ってはいず唇やくちびる歯ぐきの血色を見ても、その健康はまださして破壊されてもいないように思われた。
「この辺は井戸か水道か。」とわたくしは茶を飲む前に何気なく尋ねた。井戸の水だと答えたら、茶は飲む振りをして置く用意である。
 わたくしは花柳病かりゆうびようよりもむしろチブスのような伝染病を恐れている。肉体的よりもはやくから精神的廃人になったわたくしの身には、花柳病の如き病勢の緩慢なものは、老後の今日、さして気にはならない。
「顔でも洗うの。水道なら其処そこにあるわ。」と女の調子は極めて気軽である。
「うむ。後でいい。」
「上着だけおぬぎなさい。ほんとに随分濡れたわね。」
「ひどく降っているな。」
「わたし雷さまより光るのがいやなの。これじゃお湯にも行けやしない。あなた。まだいいでしょう。わたし顔だけ洗って御化粧おしまいしてしまうから。」
 女は口をゆがめて、懐紙ふところがみで生際の油をふきながら、中仕切の外の壁に取りつけた洗面器の前に立った。リボンの簾越しに、両肌もろはだをぬぎ、折りかがんで顔を洗う姿が見える。肌は顔よりもずっと色が白く、乳房の形で、まだ子供を持った事はないらしい。
「何だか檀那だんなになったようだな。こうしていると。箪笥たんすはあるし、茶棚はあるし……。」
「あけて御覧なさい。お芋か何かあるはずよ。」
「よく片づいているな。感心だ。火鉢の中なんぞ。」
「毎朝、掃除だけはちゃんとしますもの。わたし、こんな処にいるけれど、世帯持は上手なのよ。」
「長くいるのかい。」
「まだ一年と、ちょっと……。」
「この土地が初めてじゃないんだろう。芸者でもしていたのかい。」
 汲みかえる水の音に、わtくしの言うことが聞えなかったのか、または聞えない振りをしたのか、女は何とも答えず、肌ぬぎのまま、鏡台の前に坐り毛筋棒けすきびんを上げ、肩の方から白粉をつけ初める。
「どこに出ていたんだ。こればかりは隠せるものじゃない。」
「そう……でも東京じゃないわ。」
「東京のいまわりか。」
「いいえ。ずっと遠く……」
「じゃ、満州……」
宇都うつみやにいたの。着物もみんなその時分のよ。これで沢山だわねえ。」と言いながら立上がって、衣紋竹えもんだけに掛けた裾模様の単衣物ひとえに着かえ、赤い弁慶縞べんけいじま伊達締だてじめを大きく前で結ぶ様子は、少し大き過る潰島田つぶしの銀糸とつりあって、わたくしの目にはどうやら明治年間の娼妓しようぎのように見えた。女は衣紋を直しながらわたくしの側に坐り、茶ぶ台の上からパットを取り、
「縁起だから御祝儀だけつけて下さいね。」と火をつけた一本を差出す。
 わたくしはこの土地の遊び方をまんざら知らないのでもなかったので、
「五十銭だね。おぶ代は。」
「ええ。それはおきまりの御規則通りだわ。」と笑いながら出した手の平を引込まさず、そのまま差伸ばしている。
「じゃ、一時間ときめよう。」
「すみません。ほんとうに。」
「その代り。」と差出した手を取って引寄せ、耳元にささやくと、
「知らないわよ。」と女は目を見張って睨返にらみかえし、「馬鹿。」と言いさまわたくしの肩をった。
 為永春水ためながしゆんすいの小説を読んだ人は、作者が叙事のところどころに自家弁護の文を挟んさしはさでいることを知っているであろう。初恋の娘が恥しさを忘れて思う男に寄添うような情景を書いた時には、その後で、読者はこの娘がこの場合の様子や言葉使のみを見て、淫奔娘いたずらものだと断定してはならない。深窓のじよも意中を打明ける場合には芸者も及ばぬ艶しなまめかい様子になることがある。また、既に里馴れた遊女が偶然幼馴染おさななじみの男にめぐり会うところを写した時には、商売人くろうとでもこういう時には娘のようにもじもじするもので、これはこの道の経験に富んだ人たちの皆承知しているところで、作者の観察の至らないわけではないのだから、そのつもりでお読みなさいというような事が書添えられている。
 わたくしは春水にならって、ここに剰語を加える。読者は初めて路傍で逢ったこの女が、わたくしを遇する態度の馴々し過るのを怪しむかも知れない。しかしこれは実地の遭遇を潤色せずに、そのまま記述したのに過ぎない。何の作意も無いのである。驟雨しゆうう雷鳴から事件の起ったのを見て、これまた作者常套じようとうの筆法だと笑う人もあるだろうが、わたくしはこれを慮るおもんばかがために、わざわざ事を他に設けることを欲しない。夕立が手引をしたこの夜の出来事が、全く伝統的にお誂通あつらいりであったのを、わたくしはかえって面白く思い、実はそれが書いて見たいために、この一篇に筆を執り初めたわけである。
 一体、この盛場さかりばの女は七、八百人と数えられているそうであるが、その中に、島田を丸髷まるまげに結っているものは、十人に一人くらい。大体は女給まがいの日本風と、ダンサア好みの洋装とである。雨宿あまやどりをした家の女が極く少数の旧風に属していた事も、どうやら陳腐の筆法に適当しているような心持がして、わたくしは事実の描写をきずつけるに忍びなかった。
 雨はまない。
 初めうちへ上った時には、少し声を高くしなければ話が聞きとれないほどの振り方であったが、今では戸口へ吹きつける風の音も雷の響きも歇んで、亜鉛葺トタンぶきの屋根をつ雨の音と、雨だれの落ちる声ばかりになっている。路地には久しく人の声も跫音あしおとも途絶えていたが、突然、
「アラアラ大変だ。きいちゃん。鰌がどじよう泳いでるよ。」という黄いろい声につれて下駄げたの音がしだした。
 女はつと立ってリボンの間から土間の方をのぞき、「うちは大丈夫だ。溝があふれると、こっちまで水が流れてくるんですよ。」
「少しは小降りになったようだな。」
「宵の口に振るとお天気になっても駄目なのよ。だから、ゆっくりしていらっしゃい。わたし、今の中に御飯たべてしまうから。」
 女は茶棚の中から沢庵漬たくあんづけを山盛りにした小皿と、茶漬茶碗と、それからアルミの小鍋こなべを出して、ちょっとふたをあけて匂をかぎ、長火鉢の上に載せるのを、何かと見れば薩摩芋さつまいもの煮たのである。
「忘れていた。いいものがある。」とわたくしは京橋で乗換のりかえの電車を待っていた時、浅草海苔のりを買ったことを思いだして、それを出した。
「奥さんのお土産みやげ。」
「おれは一人なんだよ。食べるものは自分で買わなけりゃア。」
「アパートで彼女と御一緒。ほほほほほ。」
「それなら、今時分うろついちゃアいられない。雨でも雷でも、かまわず帰るさ。」
「そうねえ。」と女はいかにも尤だもつともというような顔をして暖くなりかけたお鍋の蓋を取り、「一緒にどう。」
「もう食べて来た。」
「じゃアあなたはむこうをむいていらっしゃい。」
「御飯は自分で炊くのかい。」
住宅すまいの方から、お昼と夜の十二時に持って来てくれるのよ。」
「お茶を入れ直そうかね。お湯がぬるい。」
「あら。はばかりさま。ねえ。あなた。話をしながら御飯をたべるのは楽しみなものね。」
「一人ッきりの、すっぽりめしはいやだな。」
「全くよ。じゃア、ほんとにお一人。かわいそうねえ。」
「察しておくれだろう。」
「いいの、さがして上げるわ。」
 女は茶漬を二杯ばかり。何やらはしゃいだ調子で、ちゃらちゃらと茶碗の中ではしをゆすぎ、さもいそがしそうに皿小鉢を手早く茶棚にしまいながらも、顎をおとがい動して込上げる沢庵漬のおくびを押さえつけている。
 戸外そとには人の足音と共に「ちょいとちょいと」と呼ぶ声が聞え出した。
「歇んだようだ。また近い中に出て来よう。」
「きっといらっしゃいね。昼間でもいます。」
 女はわたくしが上着をきかけるのを見て、後へ廻りえりを折返しながら肩越しに頬を摺付すりつけて、「きっとよ。」
「何ていううちだ。ここは。」
「今、名刺あげるわ。」
 靴をはいているあいだに、女は小窓の下に置いた物の中から三味線しやみせんのバチの形に切った名刺を出してくれた。見ると寺島町七丁目六十一番地(二部)安藤まさ方雪子。
「さよなら。」
「まっすぐにお帰んなさい。」

      四

    小説『失踪しつそう』の一節
 吾妻橋あずまばしのまん中ごろと覚しき欄干に身をせ、種田順平たねだじゆんぺいは松屋の時計を眺めては来かかる人影に気をつけている。女給のすみ子が店をしまってからわざわざ廻り道をして来るのを待合しているのである。
 橋の上には円タクのほか電車もバスももう通っていなかったが、二、三日前からにわかの暑さに、シャツ一枚で涼んでいるものもあり、包をかかえて帰りをいそぐ女給らしい女のもまだ途絶えずにいる。種田は今夜すみ子の泊っているアパートに行き、それからゆっくり行末ゆくすえ目当めあてを定めるつもりなので、行った先で、女がどうなるものやら、そんな事は更に考えもせず、また考える余裕もない。ただ今日まで二十年の間家族のために一生を犠牲にしてしまった事が、いかにもにがにがしく、腹が立ってならないのであった。
「お待ちどうさま。」思ったより早くすみ子は小走りにかけて来た。「いつでも、駒形橋こまがたばしをわたって行くんですよ。だけれど、兼子さんと一緒だから。あの子、口がうるさいからね。」
「もう電車はなくなったようだぜ。」
「歩いたって、停留場ていりゆうば三つぐらいだわ。その辺から円タクに乗りましょう。」
「明いた部屋があればいいが。」
「なかったら今夜一晩ぐらい、わたしのとこへお泊んなさい。」
「いいのか、大丈夫か。」
「何がさ。」
「いつか新聞に出ていたじゃないか。アパートでつかまった話が……。」
「場所によるんだわ。きっと。わたしの処なんか自由なもんよ。お隣も向側もみんな女給さんかおめかけさんよ。お隣なんか、いろいろな人が来るらしいわ。」
 橋を渡り終らぬうちに流しの円タクが秋葉神社の前まで三十銭で行く事を承知した。
「すっかり変ってしまったな。電車はどこまで行くんだ。」
向嶋むこうじまの終点。秋葉さまの前よ。バスなら真直まつすぐに玉の井まで行くわ。」
「玉の井……こんな方角だったかね。」
「御存じ。」
「たった一度見物に行った。五、六年前だ。」
賑よにぎやか。毎晩夜店が出るし、原っぱに見世物もかかるわ。」」
「そうか。」
 種田は通過とおりすぎる道の両側を眺めている中、自動車は早くも秋葉神社の前に来た。すみ子は戸の引手を動しながら、
「ここでいいわ。はい。」と賃銭をわたし、「そこから曲りましょう。あっちは交番があるから。」
 神社の石垣について曲ると片側は花柳界かりゆうかいの灯がつづいている横町の突当り。俄に暗い空地の一隅に、吾妻アパートという灯が、セメント造りの四角な家の前面を照している。すみ子は引戸をあけてなかに入り、室の番号をしるした下駄箱げたばこ草履ぞうりをしまうので、種田も同じように履物はきものを取り上げると、
「二階へ持って行きます。目につくから。」とすみ子は自分のスリッパーを男にはかせ、その下駄を手にさげて正面の階段を先に立って上る。
 外側の壁や窓は西洋風に見えるが、内は柱の細い日本造りで、ぎしぎし音のする階段を上り切った廊下の角に炊事場があって、シュミイズ一枚の女が、断髪を振乱したまま薬鑵やかんに湯をわかしていた。
「今晩。」とすみ子は軽く挨拶をして右側のはずれから二番目のを鍵であけた。
 畳のよごれた六畳ほどの部屋で、一方は押入、一方の壁際には箪笥たんす、他の壁には浴衣ゆかたやボイルの寝間着がぶら下げてある。すみ子は窓を明けて、「ここが涼しいわ。」と腰巻や足袋たびの下っている窓の下に座布団を敷いた。
「一人でこうしていれば全く気楽だな。結婚なんか全く馬鹿らしくなるわけだな。」
「家ではしょっちゅう帰って来いッていうのよ。だけれど、もう駄目ねえ。」
「僕ももう少し早く覚醒すればよかったのだ。今じゃもうおそい。」と種田は腰巻の干してある窓越しに空の方を眺めたが、思出したように、「「明間あきまがあるか、きいてくれないか。」
 すみ子は茶を入れるつもりと見えて、湯わかしを持ち、廊下へ出て何やら女同士で話をしていたが、すぐ戻って来て、
むこうの突当りが明いているそうです。だけれど今夜は事務所のおばさんがいないんですとさ。
「じゃ、借りるわけには行かないな。今夜は。」
「一晩や二晩、ここでもいいじゃないの。あんたさえ構わなければ。」
「おれはいいが。あんたはどうする。」と種田は眼を円くした。
「わたし。此処ここに寝るわ。お隣りの君ちゃんのとこへ行ってもいいのよ。彼氏が来ていなければ。」
「あんたのとこは誰も来ないのか。」
「ええ。今のところ。だから構わないのよ。だけれど、先生を誘惑してもわるいでしょう。」
 種田は笑いたいような、情ないような一種妙な顔をしたまま何も言わない。」
「立派な奥さんもお嬢さんもいらっしゃるんだし……。」
「いや、あんなもの。晩蒔おそまきでもこれから新生涯に入るんだ。」
「別居なさるの。」
「うむ。別居。むしろ離別さ。」
「だって、そうはいかないでしょう。なかなか。」
「だから、考えているんだ。乱暴でも何でもかまわない。一時姿をくらますんだな。そうすれば決裂の糸口がつくだろうと思うんだ。すみ子さん。明部屋のはなしが付かなければ、迷惑をかけても済まないから、僕は今夜だけ何処どこかで泊ろう。玉の井でも見物しよう。」
「先生。わたしもお話したいことがあるのよ。どうしようかと思って困ってる事があるのよ。今夜は寝ないで話をして下さらない。」
「この頃はじき夜があけるからね。」
「このあいだ横浜までドライブしたら、帰り道には明くなったわ。」
「あんたの身上話は、初めッから聞いたら、女中で僕のいえへ来るまででも大変なものだろう。それから女給になってから、未だ先があるんだからな。」
「一晩じゃ足りないかも知れないわね。」
「全く……。ははははは。」
 一時寂ひとしきりしんとしていた二階のどこやらから、男女の話声が聞え出した。炊事場ではまたしても水の音がしている。すみ子は真実夜通し話をするつもりと見えて、帯だけ解いて丁寧に畳み、足袋をその上に載せて押入にしまい、それから茶ぶ台の上を拭直ふきなおして茶を入れながら、
「わたしのこうなった訳、先生は何だと思って。」
「さア、やっぱり都会のあこがれだと思うんだが、そうじゃないのか。」
「それも無論そうだけれども、それよりか、わたし父の商売が、とてもいやだったの。」
「何だね。」
「親分とか侠客きようかくとかいうんでしょう。とにかく暴力団……。」とすみ子は声を低くした。

      五

 梅雨つゆがあけて暑中になると、近鄰の家の障子が一斉に明け放されるせいでもあるか、他の時節には聞えなかった物音がにわかに耳立ってきこえて来る。物音の中で最もわたくしを苦しめるものは、板堀一枚を隔てた鄰家のラディオである。
 夕方少し涼しくなるのを待ち、燈下の机に向おうとすると、丁度その頃から亀裂ひびったような鋭い物音が湧起って、九時過ぎてからでなくてはまない。この物音の中でも、殊に甚しはなはだくわたくしを苦しめるものは九州弁の政談、浪花節なにわぶし、それから学生の演劇に類似した朗読に洋楽を取り交ぜたものである。ラディオばかりでは物足らないと見えて、昼夜時間をかまわず蓄音機で流行唄はやりうたを鳴し立てる家もある。ラディオの物音を避けるために、わたくしは毎年まいとし夏になると夕飯ゆうめしもそこそこに、或時は夕飯も外で食うように、六時を合図にして家を出ることにしている。ラディオは家を出れば聞えないというわけではない。道端の人家や商店からは一段はげしい響が放たれているのであるが、電車や自動車の響と混淆こんこうして、市街一般の騒音となって聞えるので、書斎に孤坐している時にくらべると、歩いている時の方がかえって気にならず、よほど楽である。
 『失踪しつそう』の草稿は梅雨があけると共にラディオに妨げられ、中絶してからもう十日あまりになった。どうやらそのまま感興も消え失せてしまいそうである。
 今年の夏も、昨年また一昨年と同じように、毎日まだ日の没しないうちから家を出るが、実は行くべきところ、歩むべきところがない。神代帚葉こうじろそうよう翁が生きていた頃には毎夜欠かさぬ銀座の夜涼みも、一夜いちやごとに興味のくわわるほどであったのが、その人も既に世を去り、街頭の夜色やしよくにも、わたくしはもう飽果あきはてたような心持になっている。これに加えて、その後銀座通にはうっかり行かれないような事が起った。それは震災前新橋の芸者家に出入していたという車夫が今は一見して人殺しでもしたことのありそうな、人相と風体ふうていの悪い破落戸ならずものになって、折節尾張町おわりちよう辺を徘徊はいかいし、むかし見覚えのあるお客の通るのを見ると無心難題を言いかける事である。
 最初はじめ黒沢商店の角で五拾銭銀貨を恵んだのがかえって悪い例となり、恵まれぬ時は悪声を放つので、人だかりのするのがいやさにまた五拾銭をやるようになってしまう。この男に酒手さかての無心をされるのはわたくしばかりではあるまいと思って、或晩欺いて四辻よつつじの派出所へ連れて行くと、立番の巡査とはとうに馴染なじみになっていて、巡査は面倒臭さに取り合ってくれる様子をも見せなかった。出雲町いずもちよう……イヤ七丁目の交番でも、或日巡査と笑いながら話をしているのを見た。巡査の眼にはわたくしなどよりこの男の方がかえって素性すじようが知れているのかも知れない。
 わたくしは散策の方面を隅田河すみだがわの東に替え、溝際どぶぎわの家に住んでいるお雪という女をたずねてやすむことにした。
 四、五日つづけて同じ道を往復すると、麻布からの遠道も初めに比べると、だんだん苦にならないようになる。京橋と雷門かみなりもんとの乗替のりかえも、習慣になると意識よりも身体からだの方が先に動いてくれるので、さほど煩しいとも思わないようになる。乗客の雑沓ざつとうする時間や線路が、日によって違うことも明にあきらかなるので、これを避けさえすれば、遠道だけにゆっくり本を読みながら行くことも出来るようになる。
 電車のなかでの読書は、大正九年の頃眼鏡を掛けるようになってから全く廃せられていたが、雷門までの遠道を往復するようになって再びこれを行うことにした。しかし新聞も雑誌も新刊書も、手にする習慣がないので、わたくしは初めての出掛けには、手に触れるがまま依田学海よだがくかいの『墨水二十四景記』をたずさえて行った。
   長堤蜿蜒。 テ三囲みめぐりノしヲやや シ ヲ ル長命 二
   一折たり桜樹 モ キ処。寛永中徳川大猷公だいゆうこう ツ ヲここ
   会腹たまたま ミ ンデ ノ ヲいユ曰。いわクこレ ノ ト ツテ ジ ノ ニ
   竝及ならびニボス ニ 二 リ芭蕉居士こじ ノ スル ヲ佳句。かいしゃス ニ
   嗚呼ああ ハ ノ豪傑。 ノ震世ふるウモ ニ宜矣。むべナルカナ
   居 ハ ギ一布いちほいニ ジク ウ於後。けだし ノ ル ノ スル何如いかんニのみ
 先儒の文は目前の景に対して幾分の興を添えるだろうと思ったからである。
 わたくしは三日目ぐらいには散歩のみちすがら食料品を買わねばならない。わたくしはそのついでに、女に贈る土産物みやげものをも買った。この事が往訪することわずかに四、五回にして、二重の効果を収めた。
 いつも鑵詰かんづめばかり買うのみならず、シャツや上着もボタンの取れたのを着ているのを見て、女はいよいよわたくしをアパート住いの独者ひとりものと推定したのである。独身ならば毎夜のように遊びに行っても一向不審はないという事になる。ラディオのために家にいられないと思うはずもなかろうし、また芝居や活動を見ないので、時間を空費するところがない。行く処がないので来る人だとも思うはずがない。この事は言訳をせずとも自然にうまく行ったが、金の出処でどころについて疑いをかけられはせぬかと、場所柄だけに、わたくしはそれとなく質問した。すると女はその晩払うものさえ払ってくれれば、ほかの事はてんで考えてもいないという様子で、
「こんなとこでも、遣う人は随分遣うわよ。まる一ト月居続けしたお客があったわ。」
「へえ。」とわたくしは驚き、「警察へ届けなくっていいのか。吉原よしわらなんかだとじき届けるという話じゃないか。」
「この土地でも、うちによっちゃアするかも知れないわ。」
「居続したお客は何だった。泥棒か。」
「呉服屋さんだったわ。とうとう店の檀那だんなが来て連れて行ったわ。」
「勘定の持ち逃げだね。」
「そうでしょう。」
「おれは大丈夫だよ。その方は。」と言ったが、女はどちらでも構わないという顔をして聞返しもしなかった。
 しかしわたくしの職業については、女の方ではとうから勝手に取りきめているらしい事がわかって来た。
 二階のふすまに半紙四ッ切ほどの大きさに復刻した浮世絵の美人画が張交はりまぜにしてある。その中には歌麿呂の鮑取あわびとり、豊信とよのぶの入浴美女など、かってわたくしが雑誌『此花このはな』の挿絵で見覚えているものもあった。北斎の三冊本、『福徳和合人ふくとくわごうじん』の中から、男の姿を取り去り、女の方ばかりを残したものもあったので、わたくしはくわしくこの書の説明をした。それからまた、お雪がお客と共に二階へ上がっている間、わたくしは下の一ト間で手帳へ何か書いていたのを、ちらと見て、てっきり秘密の出版を業とする男だと思ったらしく、こん度来る時そういう本を一冊持って来てくれと言出した。
 家には二、三十年前に集めたものの残りがあったので、請われるまま三、四冊一度に持って行った。ここに至って、わたくしの職業は言わず語らず、それと決められたのみならず、悪銭の出処でどころもおのずから明瞭になったらしい。すると女の態度は一層打解けて、全く客扱いをしないようになった。
 日蔭に住む女たちが世を忍ぶ後暗うしろぐらい男に対する時、恐れもせず嫌いもせず、必ず親密と愛憐との心を起す事は、夥多かたの実例に徴して深く説明するにも及ぶまい。鴨川かもがわ芸妓げいぎ幕吏ばくりに追われる志士を救い、寒駅かんえきの酌婦は関所破りの博徒ばくとに旅費を恵むことを辞さなかった。トスカは逃竄とうざんの貧士に食を与え、三千歳みちとせは無頼漢に恋愛の真情を捧げて悔いなかった。
 ここにおいてわたくしの憂慮するところは、この町の付近、もしくは東武電車の中などで、文学者と新聞記者とに出会わぬようにする事だけである。このの人たちには何処どこで会おうと、後をつけられようと、一向に差閊さしつかえはない。謹厳な人たちからは年少の頃から見限られた身である。親類の子供もわたくしの家には寄りつかないようになっているから、今では結局はばかるものはない。ただひとり恐るべきは操觚そうこの士である。十余年前銀座の表通にしきりにカフェーが出来はじめた頃、ここにえいを買った事から、新聞という新聞はこぞってわたくしを筆誅ひつちゆうした。昭和四年の四月『文芸春秋』という雑誌は、世に「生存させて置いてはならない」人間としてわたくしを攻撃した。その文中には「処女誘拐」というが如き文字をも使用した所を見るとわたくしを陥れて犯法はんぽうの罪人たらしめようとしたものかも知れない。彼らはわたくしが夜ひそかに墨水をわたって東に遊ぶ事を探知したなら、更に何事を企図するか測りがたい。これ真に恐るべきである。
 毎夜電車の乗降りのみならず、この里へ入込んでからも、夜店のにぎわう表通りは言うまでもない。路地の小径こみちも人の多い時には、前後左右に気を配って歩かなければならない。この心持は『失踪』の主人公種田順平が世をしのぶ境遇を描写するには必須ひつしゆの実験であろう。

      六

 わたくしの忍んで通う溝際どぶぎわの家が寺島町てらじままち七丁目六十何番地にあることは既にしるした。この番地のあたりはこの盛場さかりばでは西北の隅に寄ったところで、目貫めぬきの場所ではない。仮にこれを北里にたとえて見たら、京町きようまち一丁目も西河岸にしがしに近いはずれとでも言うべきものであろう。聞いたばかりの話だから、ちょっとつうめかしてこの盛場の沿革を述べようか。大正七、八年の頃、浅草観音堂裏手の境内が狭められ、広い道路が開かれるに際して、むかしからその辺に櫛比しつぴしていた楊弓場ようきゆうば銘酒屋のたぐいが悉くことごと取払いを命ぜられ、現在いまでも京成バスの往復している大正道路の両側にところ定めず店を移した。つづいて伝法院でんぽういんの横手や江川えがわ玉乗りの裏あたりからも追われて来るものが引きも切らず、大正道路は殆軒ほとんど並銘酒屋になってしまい、通行人は白昼でも袖を引かれ帽子を奪われるようになったので、警察署の取締りが厳しくなり、車の通る表通りから路地の内へと引き込ませられた。浅草の旧地では凌雲閣りようんかくの裏手から公園の北側千束町せんぞくまちの路地にあったものが、手を尽くして居残りの策を講じていたが、それも大正十二年の震災のために中絶し、一時悉くこの方面へ逃げて来た。市街再建の後西見番にしけんばんと称する芸者家組合をつくり転業したものもあったが、この土地の繁栄はますます盛になり遂に今日の如き半ば永久的な状況を呈するに至った。初め市中との交通は白髯橋しらひげばしの方面一筋だけであったので、去年京成電車が運転を廃止する頃まではその停留場ていりゆうばに近いところが一番賑でにぎやかあった。
 しかるに昭和五年の春都市復興祭の執行せられた頃、吾妻橋あづまばしから寺島町に至る一直線の道路が開かれ、市内電車は秋葉神社前まで、市営バスの往復は更に延長して寺島町七丁目のはずれに車庫を設けるようになった。それと共に東武鉄道会社が盛場の西南に玉の井駅を設け、夜も十二時まで雷門かみなりもんから六銭で人を載せて来るに及び、町の形成は裏と表と、全く一変するようになった。今まで一番わかりにくかった路地が、一番入りやすくなった代り、以前目貫と言われた処が、今でははずれになったのであるがそれでも銀行、郵便局、湯屋、寄席よせ、活動写真館、玉の井稲荷いなりの如きは、いずれも以前のまま大正道路に残っていて、俚俗広小路りぞくひろこうじ、または改正道路と呼ばれる新しい道には、円タクの輻輳ふくそうと、夜店の賑いとを見るばかりで、巡査の派出所も共同便所もない。このような辺鄙へんぴな新開町にあってすら、時勢に伴う盛衰の変は免れないのであった。いわんや人の一生においてをや。

 わたくしがふと心易こころやすくなった溝際の家……お雪という女の住む家が、この土地では大正開拓期の盛時を想起おもいおこさせる一隅にあったのも、わたくしの如き時運に取り残された身には、何やら深い因縁があったように思われる。その家は大正道路からある路地に入り、汚れたのぼりの立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝に沿うて、なお奥深く入り込んだ処にあるので、表通のラディオや蓄音機の響も素見客ひやかしの足音に消されてよくは聞えない。夏の夜、わたくしがラディオのひびきを避けるにはこれほど適した安息処は他にはあるまい。
 一体この盛場では、組合の規則で女が窓に坐る午後四時から蓄音機やラディオを禁じ、また三味線しやみせんをも弾かせないという事で。雨のしとしとと降る晩など、ふけるにつれて、ちょいとちょいとの声も途絶えがちになると、家の内外うちそとむらがり鳴く蚊の声が耳立って、いかにも場末の裏町らしいわびしさが感じられて来る。それも昭和現代の陋巷ろうこうではなくして、鶴屋南北つるやなんぼくの狂言などから感じられる過去の世の裏淋しい情味である。
 いつも島田か丸髷まるまげにしか結っていないお雪の姿と、溝の汚さと、蚊のなく声とはわたくしの感覚を著しく刺激し、三、四十年むかしに消え去った過去の幻影を再現させてくれるのである。わたくしはこの果敢はかなくも怪し気なる幻影の紹介者に対して出来得ることならあからさまに感謝の言葉を述べたい。お雪さんは南北の狂言を演じる俳優よりも、蘭蝶を語る鶴賀なにがしよりも、過去を呼返す力においては一層巧妙なる無言の芸術家であった。
 わたくしはお雪さんが飯櫃おはちを抱きかかえるようにして飯をよそい、さらさら音を立てて茶漬を掻込む姿を、あまりあかるくない電燈の光と、絶えざる溝蚊の声の中にじっと眺めやる時、青春のころしたしんだ女たちの姿やその住居すまいのさまをありありと目の前に思浮べる。わたくしのものばかりでない。友達の女の事までが思出されて来るのである。
 そのころには男を「彼氏」といい、女を「彼女」とよび、二人の佗住居を「愛の巣」などという言葉はまだ作り出されていなかった。馴染なじみの女は「君」でも、「あんた」でもなく、ただ「お前」といえばよかった。亭主は女房を「おっかア」女房は亭主を「ちゃん」と呼ぶものもあった。
 溝の蚊のうなる声は今日こんにちにあっても隅田川すみだがわを東に渡って行けば、どうやら三十年前のむかしと変りなく、場末の町のわびしさを歌っているのに、東京の言葉はこの十年の間に変れば実に変ったものである。

   そのあたり片づけて吊る蚊帳哉かちようかな
   さらぬだに暑くるしきを木綿蚊帳もめんがや
   家中いえじゆうは秋の西日やどぶのふち
   わび住みや団扇うちわも折れて秋暑し
   蚊帳かやの穴むすびむすびて九月哉
   屑篭くずかごの中からも出て鳴く蚊かな
   残る蚊をかぞへる壁や雨のしみ
   この蚊帳も酒とやならむ暮の秋

 これはお雪が住む家の茶の間に、或夜蚊帳が吊ってあったのを見て、ふと思出した旧作の句である。なかば亡友唖々ああ君が深川長慶寺裏の長屋に親の許さぬ恋人と隠れ住んでいたのを、その折々訪ねて行った時よんだもので、明治四十三、四年のころであったろう。
 その夜お雪さんは急に歯が痛くなって、今しがた窓際から引込んで寝たばかりのところだと言いながら蚊帳からい出したが、坐る場処がないので、わたくしと並んで上框あがりがまちへ腰をかけた。
「いつもよりおそいじゃないのさ。あんまり、待たせるもんじゃないよ。」
 女の言葉遣いはその態度と共に、わたくしの商売が世間をはばかるものと推定せられてから、狎昵こうじつの境を越えてむしろ放濫ほうらんに走る嫌いがあった。
「それはすまなかった。虫歯か。」
「急に痛くなったの。目がまわりそうだったわ。れてるだろう。」と横顔を見せ、「あなた。留守番していて下さいな。わたし今のうち歯医者へ行って来るから。」
「この近処か。」
検査場けんさばのすぐ手前よ。」
「それじゃ公設市場の方だろう。」
「あなた。方々歩くと見えて、よく知ってるんだねえ。浮気者。」
「痛い。そう邪慳じやけんにするもんじゃない。出世前の身体だよ。」
「じゃ頼むわよ。あんまり待たせるようだったら帰って来るわ。」
「お前待ち待ち蚊帳の外……というわけか。仕様がない。」
 わたくしは女の言葉遣いがぞんざいになるに従って、それに適応した調子を取るようにしている。これは身分を隠そうがための手段ではない。処と人とを問わず、わたくしは現代の人と応接する時には、あたかも外国に行って外国語を操るように、相手と同じ言葉を遣う事にしているからである。「おらが国」とむこうの人が言ったらこっちも「おら」を「わたくし」の代りに使う。説話はなしは少し余事にわたるが、現代人と交際する時、口語を学ぶことは容易であるが文書の往復になると頗困すこぶる難を感じる。殊に女の手紙に返書を裁する時「わたし」を「あたし」となし、「けれども」を「けど」となし、また何事につけても、「必然性」だの「重大性」だのと、性の字をつけて見るのも、冗談半分口先で真似をしている時とはちがって、これを筆にする段になると、実に堪がたい嫌悪の情を感じなければならない。恋しきは何事につけても還らぬむかしで、あたかもその日、わたくしは虫干をしていた物の中に、柳橋やなぎばしにして、向嶋小梅むこうじまこうめの里に囲われていた女の古い手紙を見た。手紙には必ず候文そうろうぶんを用いなければならなかった時代なので、その頃の女は、硯を引寄せ筆をれば、文字を知らなくとも、おのずから候べく候の調子を思出したものらしい。わたくしは人の嗤笑ししようを顧ず、これをここに録したい。

   一筆ひとふで申上まゐらせ候。その後は御ぶさた致し候て、
   何とも申わけ無之これなく御免下されたく候。
   私事わたくしごとこれまでの住居すまい誠に手ぜまにつき
   このじゆう右のところへしき○○移り候まま御知おんしらせ申上候。
   まことにまことに申上かね候へども、
   少々お目もじの上申上たき事御ざ候間、
   何とぞ御都合なし下されて、
   あなた様のよろしき折御立おたちより下されたく
   幾重にも御待おんまち申上候。一日も早く御越しのほど、
   先は御めもじの上にあらあらかしこく。   ○○より
   竹屋の渡しの下にみやこ湯と申す湯屋あり。
   八百屋でお聞き下さい。
   天気がよろしく候故御都合にて唖々ああさんもお誘ひ合され
   堀切ほりきりへ参りたくとぞんじ候間御|しる○○前からいかがに候や。
   御たづね申上候。尤こもつともの御返事御無用にて候。

 文中「ひき移り」を「しき移り」となし、「ひる前」を「しる前」に書き誤っているのは東京下町言葉のなまりである。竹屋の渡しも今は枕橋まくらばしわたしと共に廃せられてその跡もない。わが青春の名残なごりとむらうに今はこれを那辺なへんに探るべきか。

      七

 わたくしはお雪の出て行ったあとなかばおろしたふる蚊帳がやの裾に坐って、一人蚊を追いながら、時には長火鉢に埋めた炭火と湯わかしとに気をつけた。いかに暑さのはげしい晩でも、この土地では、お客の上った合図に下から茶を持って行く習慣なので、どの家でも火と湯とをたやした事がない。
「おい。おい。」と小声に呼んで窓を叩くものがある。
 わたくしは大方馴染なじみの客であろうと思い、出ようか出まいかと、様子をうかがっていると、外の男は窓口から手を差入れ、猿をはずしてをあけてなかへ入った。白っぽい浴衣ゆかた兵児帯へこおびをしめ、田舎臭い円顔に口髭くちひげはやした年は五十ばかり。手には風呂敷に包んだものを持っている。わたくしはその様子とその顔立とで、直様すぐさまお雪の抱主かかえぬしだろうと推察したので、向から言うのを待たず、
「お雪さんは何だか、お医者へ行くって、今おもてで逢いました。」
 抱主らしい男は既にその事を知っていたらしく、「もう帰るでしょう。待っていなさい。」といって、わたくしのいたのを怪しむ風もなく、風呂敷包を解いて、アルミの小鍋こなべを出し茶棚の中へ入れた。夜食の惣菜そうざいを持って来たのを見れば、抱主に相違はない。
「お雪さんは、いつも忙しくって結構ですねえ。」
 わたくしは挨拶のかわりに何かお世辞を言わなければならないと思って、そう言った。
「何ですか。どうも。」と抱主の方でも返事に困るといったような、意味のない事を言って、火鉢の火や湯の加減を見るばかり。面と向かってわたくしの顔さえ見ない。むしろ対談を避けるというように横を向いているので、わたくしもそのまま黙っていた。
 こういう家の亭主と遊客と対面は、両方とも甚気はなはだまずいものである。貸座敷、待合茶屋まちあいぢやや芸者屋げいしややなどの亭主と客との間もまた同じことで、この両者の対談する場合は、必ず女を中心にしてその気まずい紛擾ごたごたの起った時で、しからざる限り対談の必要が全くないからでもあろう。
 いつもお雪が店口で蚊遣香かやりこうも、今夜は一度もともされなかったと見え、家中いえじゆうにわめく蚊の群は顔を刺すのみならず、口の中へも飛込もうとするのに、土地馴れているはずの主人も、しばらく坐っているうち我慢がしきれなくなって、中仕切なかじきりの敷居際に置いた扇風機の引手をねじったがこわれていると見えて廻らない。火鉢の抽斗ひきだしからようやく蚊遣香の破片かけらを見出した時、二人は思わず安心したように顔を見合せたので、わたくしはこれを機会に、
「今年はどこもひどい蚊ですよ。暑さも格別ですがね。」と言うと、
「そうですか。ここはもともと埋地うめちで、ろく地揚じあげもしないんだから。」と主人もしぶしぶ口をきき初めた。
「それでも道がよくなりましたね。第一便利になりましたね。」
「その代り、何かにつけて規則がやかましくなった。」
「そう。二、三年前にゃ、通ると帽子なんぞ持って行ったものですね。」
「あれにゃ、わたしたちこのなかの者も困ったんだよ。用があっても通れないからね。女たちにそう言っても、そう一々見張りをしてもいられないし、仕方がないから罰金を取るようにしたんだ。店の外へ出てお客をつかまえる処を見つかると四十二円の罰金だ。それから公園あたりへ客引を出すのも規則違反にしたんだ。」
「それも罰金ですか。」
「うむ。」
「それは幾何いくらですか。」
 遠廻しに土地の事情を聞出そうと思った時、「安藤さん」と男の声で、何やら何やら紙片かみきれを窓に差入れて行った者がある。同時にお雪が帰って来て、その紙を取上げ、猫板の上に置いたのを、偸見ぬすみみすると、謄写摺とうしやずりにした強盗犯人捜索の回状である。
 お雪はそんなものには目も触れず、「お父さん、あした抜かなくっちゃいけないっていうのよ。この歯。」と言って、主人の方へいた口を向ける。
「じゃア、今夜は食べる物はいらなかったな。」と主人は立ちかけたが、わたくしはわざと見えるように金を出してお雪にわたし、一人先へ立って二階に上った。
 二階は窓のある三畳の間に茶ぶ台を置き、次が六畳と四畳半位の二間ふたましかない。一体この家はもと一軒であったのを、表と裏と二軒に仕切ったらしく、下は茶の間の一室きりで台所も裏口もなく、二階は梯子はしごの降口からつづいて四畳半の壁も紙を張った薄い板一枚なので、裏どなりの物音や話声が手に取るようによく聞える。わたくしはく耳を押つけて笑う事があった。
「また、そんなとこ。暑いのにさ。」
 上って来たお雪はすぐ窓のある三畳の方へ行って、染模様のげたカーテンを片寄せ、「こっちへおいでよ。いい風だ。アラまた光ってる。」
「さっきより幾らか涼しくなったな、なるほどいい風だ。」
 窓のすぐ下は日蔽ひおい葭簀よしずに遮られているが、どぶの向側に並んだ家の二階と、窓口に坐っている女の顔、ったり来たりする人影、路地一帯の光景は案外遠くの方まで見通すことができる。屋根の上の空は鉛色に重く垂下たれさがって、星も見えず、表通のネオンサインに半空なかぞらまでも薄赤く染められているのが、蒸暑い夜を一層蒸暑くしている。「ねえ、あなた」と突然わたくしの手を握り、「わたし、借金を返しちまったら。あなた、おかみさんにしてくれない。」
「おれ見たようなもの。仕様がないじゃないか。」
「ハスになる資格がないっていうの。」
「食べさせることができなかったら資格がないね。」
 お雪は何とも言わず、路地のはずれに聞え出したヴィヨロンの唄につれて、鼻唄をうたいかけたので、わたくしは見るともなく顔をみようとすると、お雪はそれを避けるように急に立上り、片手を伸して柱につかまり、乗り出すように半身を外へ突き出した。
「もう十年わかけりゃア……。」わたくしは茶ぶ台の前に坐って巻煙草に火をつけた。
「あなた。一体いくつなの。」
 こなたへ振向いたお雪の顔を見上ると、いつものように片靨かたえくぼを寄せているので、わたくしは何とも知れず安心したような心持になって、
「もうじき六十さ。」
「お父さん。六十なの。まだ御丈夫。」
 お雪はしげしげとわたくしの顔を見て、「あなた。まだ四十二にゃならないね。三十七か八か知ら。」
「おれはおめかけさんに出来た子だから、ほんとの年はわからない。」
「四十にしても若いね。髪の毛なんぞそうは思えないわ。」
「明治三十一年うまれだね。四十だと。」
「わたしはいくつ位に見えて。」
「二十一、二に見えるが、四ぐらいかな。」
「あなた。口がうまいから駄目。二十六だわ。」
「雪ちゃん、お前、宇都うつみやで芸者をしていたって言ったね。」
「ええ。」
「どうして、ここへきたんだ。よくこの土地の事を知っていたね。」
「暫く東京にいたもの。」
「お金のいることがあったのか。」
「そうでもなけりゃア……。檀那だんなは病気で死んだし、それに少し……」
「馴れない中は驚いたろう。芸者とはやり方がちがうから。」
「そうでもないわ。はじめッから承知で来たんだもの。芸者はかかりまけがして、借金の抜ける時がないもの。それに……身を落とすなら稼ぎいい方が結句徳だもの。」
「そこまで考えたのは、全くえらい。一人でそう考えたのか。」
「芸者の時分、お茶屋のねえさんで知ってる人が、この土地で商売していたから、話をきいたのよ。」
「それにしても、えらいよ。ねんがあけたら少し自前じまえで稼いで、残せるだけ残すんだね。」
「わたしの年は水商売には向くんだとさ。だけれど行先の事はわからないわ。ネエ。」
 じっと顔を見詰められたので、わたくしは再び妙に不安な心持がした。まさかとは思うものの、何だか奥歯に物の挟まっているような心持がして、此度こんどはわたくしの方が空の方へでも顔を外向そむけたくなった。
 表通りのネオンサインが反映する空のはずれには、先ほどから折々稲妻がひらめいていたが、この時急に鋭い光が人の目を射た。しかし雷の音らしいものは聞えず、風がぱったりんで日の暮の暑さがまたむし返されて来たようである。
「いまに夕立が来そうだな。」
「あなた。髪結かみゆいさんの帰り……もう三月みつきになるわネエ。」
 わたくしの耳にはこの「三月になるわネエ。」と少し引延ばしたネエの声が何やら遠いむかしを思返すとでもいうように無限のじようを含んだように聞きなされた。「三月になります。」とか「なるわよ。」とか言切ったら平常つねの談話に聞えたのであろうが、ネエと長く引いた声は詠嘆のおんというよりも、むしろそれとなくわたくしの返事を促すために遺われたもののようにも思われたので、わたくしは「そう……。」と答えかけた言葉さえ飲み込んでしまって、ただ目容まなざしで応答をした。
 お雪は毎夜路地へ入込はいりこむ数知れぬ男に応接する身でありながら、どういう訳で初めてわたくしと逢った日の事を忘れずにいるのか、それがわたくしには有り得べからざる事のように考えられた。初ての日を思返すのは、その時の事を心に嬉しく思うがためと見なければならない。しかしわたくしはこの土地の女がわたくしのような老人としよりに対して、もつとも先方ではわたくしの年を四十歳位に見ているが、それにしても好いたのほれれたのというようなもしくはそれに似た柔く温なあたたか感情を起し得るものとは、夢にも思っていなかった。
 わたくしが殆ど毎夜のように足繁く通って来るのは、既に幾度か記述したように、種々いろいろな理由があったからである。創作『失踪しつそう』の実地観察。ラディオからの逃走。銀座丸ノ内のような首都枢要の市街に対する嫌悪。その他の理由もあるが、いずれも女に向って語り得べき事ではない。わたくしはお雪の家を夜の散歩の休憩所にしていたに過ぎないのであるが、そうするためには方便として口から出まかせの虚言うそもついた。故意に欺くつもりではないが、最初女の誤り認めた事を訂正もせず、むしろ興にまかせてその誤認をなお深くするような挙動や話をして、身分をくらました。この責だけはまぬがれないかも知れない。
 わたくしはこの東京のみならず、西洋にあっても、売笑のちまたほか殆そほとんどの他の社会を知らないといってもよい。その由来はここに述べたくもなく、また述べる必要もあるまい。もしわたくしなる一人物の何者たるかを知りたいというような酔興な人があったなら、わたくしが中年のころにつくった対話『昼すぎ』漫筆『妾宅しようたく』小説『見果てぬ夢』の如き悪文を一読せられたなら思いなかばに過るものがあろう。とは言うものの、それも文章がつたなく、くどくどしくて、全篇をよむには面倒であろうから、ここに『見果てぬ夢』の一節を抜摘しよう。「彼が十年一日の如く花柳界に出入する元気のあったのは、つまり花柳界が不正暗黒の巷である事を熟知していたからで。さればもし世間が放蕩者ほうとうしやを以て忠臣孝子の如く称賛するものであったなら、彼は邸宅を人手に渡してまでも、その称賛の声を聞こうとはしなかったであろう。正当な妻女の偽善的虚栄心、公明なる社会の詐欺的活動に対する義憤は、彼をして最初から不正暗黒として知られた他の一方におもむかしめた唯一の力であった。つまり彼は真白だと称する壁の上に汚い種々さまざま汚点しみを見出すよりも、投捨てられた襤褸らんるきれにも美しい縁取りの残りを発見して喜ぶのだ。正義の宮殿にも往々にして鳥や鼠のふんが落ちていると同じく、悪徳の谷底には美しい人情の花とかんばしい涙の果実がかえって沢山に摘み集められる。」
 これを読む人は、わたくしが溝の臭気と、蚊の声との中に生活する女たちを深く恐れもせず、醜いともせず、むしろ見ぬ前から親しみを覚えていた事だけは推察せられるであろう。
 わたくしは彼女かのおんなたちと懇意になるには――少くとも彼女たちから敬して遠ざけられないためには、現在の身分はかくしている方がよいと思った。彼女たちから、こんな処へ来ずともよい身分の人だのに、と思われるのは、わたくしに取ってはいかにも辛い。彼女たちの薄倖はつこうな生活を芝居でも見るように、上から見下みくだしてよろこぶのだと誤解せられるような事は、出来得るかぎりこれを避けたいと思った。それには身分を秘するより外はない。
 こんな処へ来る人ではないと言われた事については既に実例がある。或夜、改正道路のはずれ、市営バス車庫のほとりで、わたくしは巡査に呼止められて尋問せられたことがある。わたくしは文学者だの著述業だのと自分から名乗りを揚げるのもいやであるし、人からそう思われるのはなおさら嫌いであるから、巡査の問に対しては例の如く無職の遊民と答えた。巡査はわたくしの上着を剥取はぎとって所持品を改める段になると、平素ふだん夜行の際、不審尋問にう時の用心に、印鑑と印鑑証明書と戸籍抄本とが嚢中のうちゆうに入れてある。それから紙入には翌日の朝大工と植木屋と古本屋とに払いがあったので、三、四百円の現金が入れてあった。巡査は驚いたらしくにわかにわたくしの事を資産家とよび、「こんな処は君見たような資産家の来るところじゃない。早く帰りたまえ、間違いがあるといかんから、来るなら出直して来たまえ。」といって、わたくしがなお愚図愚図しているのを見て、手を挙げて円タクを呼止め、わざわざ戸を明けてくれた。
 わたくしはやむことをえず自動車に乗り改正道路から環状線とかいう道を廻った。つまり迷宮ラビランドの外郭を一周して、伏見稲荷ふしみいなりの路地口に近いところで降りた事があった。それ以来、わたくしは地図を買って道を調べ、深夜は交番の前を通らないようにした。
 わたくしは今、お雪さんが初めて逢った日の事を詠嘆的な調子で言出したのに対して、答うべき言葉を見付けかね、煙草のけむりの中にせめて顔だけでもかくしたい気がしてまたもや巻煙草を取出した。お雪は黒目がちの目でじっとこなたを見詰めながら、
「あなた。ほんとにているわ。あの晩、あたし後姿を見た時、はっと思ったくらい……。」
「そうか。他人のそら肖って、よくある奴さ。」わたくしはまア好かったという心持を一生懸命に押隠した。そして、「誰に。死んだ檀那に似ているのか。」
「いいえ。芸者になったばかりの時分……。一緒になれなかったら死のうと思ったの。」
逆上のぼせきると、誰しも一時はそんな気を起す……。」
「あなたも。あなたなんぞ、そんな気にゃアならないでしょう。」
「冷静かね。しかし人は見掛によらないもんだからね。そう見くびったもんでもないよ。」
 お雪は片靨かたえくぼを寄せて笑顔をつくったばかりで、何とも言わなかった。少し下唇のくちびる出た口じりの右側に、おのずと深く穿うがたれる片えくぼは、いつもお雪の顔立を娘のようにあどけなくするのであるが、その夜にかぎって、いかにも無理に寄せた靨のように、言い知れず淋しく見えた。わたくしはその場をまぎらすために、
「また歯がいたくなったのか。」
「いいえ。さっき注射したから、もう何ともない。」
 それなり、また話が途絶えた時、幸にも馴染なじみの客らしいものが店口の戸を叩いてくれた。お雪はつと立って窓の外に半身を出し、目かくしの板越しに下をのぞき、
「アラ竹さん。お上んなさい。」
 駆け降りるあとからわたくしも続いて下り、しばらく便所の中に姿をかくし客の上ってしまうのを待って、音のしないように外へ出た。

      八

 来そうに思われた夕立も来る様子はなく、火種をたやさぬ茶の間の蒸暑さと蚊のむれとを恐れて、わたくしは一時外へ出たのであるが,帰るにはまだ少し早いらしいので、どぶづたいに路地を抜け、ここにも板橋のかかっている表の横町に出た。両側に縁日商人あきうどが店を並べているので、もともと自動車の通らない道幅はなおさら狭くなって、出さかる人は押合いながら歩いている。板橋の右手はすぐ角に馬肉屋のある四辻よつつじで。辻の向側には曹洞宗東清寺そうとうしゅうとうせいじと刻した石碑と、玉の井稲荷いなりの鳥居と公衆電話とが立っている。わたくしはお雪の話からこの稲荷の縁日は月の二日と二十日の両日である事や、縁日の晩は外ばかり賑でにぎやか、路地の中はかえって客足が少いところから、窓の女たちは貧乏稲荷と呼んでいる事などを思出し、人込みに交って、まだ一度も参詣したことのないやしろの方へ行って見た。
 今まで書くことを忘れていたが、わたくしは毎夜この盛場さかりばへ出掛けるように、心持にも身体にも共々に習慣がつくようになってから、このあたりの夜店を見歩いている人たちの風俗にならって、出がけには服装みなりを変ることにしていたのである。これは別に手数てすうのかかる事ではない。えりの返るしまのホワイトシャツの襟元のぼたんをはずして襟飾をつけない事、洋服の上着は手にげて着ない事、帽子はかぶらぬ事、髪の毛はくしを入れた事もないように掻乱かきみだして置く事、ズボンはなるべく膝や尻のり切れたくらいな古いものに穿替はきかえる事。靴は穿かず、古下駄ふるげたかかとの方が台まで摺りへっているのを捜して穿く事、煙草は必バットに限る事、エトセトラエトセトラである。だから訳はない。つまり書斎にいる時、また来客を迎える時の衣服をぬいで、庭掃除や煤払すすはらいの時のものに着替え、下女の古下駄を貰ってはけばよいのだ。
 古ズボンに古下駄をはき、それに古手拭をさがし出して鉢巻の巻方も至極不意気ぶいきにすれば、南は砂町すなまち、北は千住せんじゆから葛西金町辺かさいかなまちあたりまで行こうとも、道行く人から振返って顔を見られる気遣いはない。その町に住んでいるものが買物にでも出たように見えるので、安心して路地へでも横町へでも勝手に入り込むことができる。この不様ぶざまな身なりは、「じだらくに居れば涼しき二階かな。」で、東京の気候の殊に暑さの甚しはなはだい季節には最適もつとも合している。朦朧もうろう円タクの運転手と同じようなこの風をしていれば、道の上といわず電車の中といわず何処どこでも好きな処へ啖唾たんつばも吐けるし、煙草の吸殻、マッチの燃残り、紙屑、バナナの皮も捨てられる。公園とみればベンチや芝生へ大の字なりに寝転んでいびきをかこうが浪花節なにわぶしうなろうがこれまた勝手次第なので、ただに気候のみならず、東京中の建築物とも調和して、いかにも復興都市の住民らしい心持になることが出来る。
 女子がアッパッパと称する下着一枚で戸外に出歩く奇風については、友人佐藤慵斎ようさい君の文集に載っているその論に譲って、ここには言うまい。
 わたくしは素足に穿き馴れぬ古下駄を突掛つツかけているので、物につまづいたり、人に足を踏まれたりして、怪我けがをしないように気をつけながら、人ごみの中を歩いて向側の路地の突当りにある稲荷に参詣した。ここにも夜店がつづき、ほこらの横手のやや広い空地あきちは、植木屋が一面に並べた薔薇ばら百合ゆり夏菊などの鉢物に時ならぬ花壇をつくっている。東清寺本堂建立の資金寄附者の姓名が空地の一隅に板塀の如くかけ並べてあるのを見ると、この寺は焼けたのでなければ、玉の井稲荷と同じく他所よそから移されたものかも知れない。
 わたくしは常夏とこなつの花一鉢をあがない、別の路地を抜けて、もと来た大正道路へ出た。すこし行くと右側に交番がある。今夜はこの辺の人たちと同じような服装みなりをして、植木鉢をも手にしているから大丈夫とは思ったが、避けるにくはないと、後戻りして、角に酒屋と水菓子屋のある道に曲った。
 この道の片側に並んだ商店のうしろ一帯の路地はいわゆる第一部と名付けられたラビアントで。お雪の家のある第二部を貫くかの溝は、突然第一部のはずれの道端に現われて、中島湯という暖簾のれんを下げた洗湯の前を流れ、許可地そとの真暗な裏長屋の間に行先を没している。わたくしはむかし北廓を取巻いていた鉄漿溝おはぐろどぶより一層不潔に見えるこの溝も、寺島町がまだ田園であった頃には、水草の花に蜻蛉とんぼのとまっていたような清い小流こながれであったのであろうと、老人としよりにも似合わない感傷的な心持にならざるを得なかった。縁日の露店はこの通には出ていない。九州亭というネオンサインを高く輝しかがやかている支那飯屋の前まで来ると、改正道路を走る自動車のが見え蓄音機の音が聞える。
 植木鉢がなかなか重いので、改正道路の方へは行かず、九州亭の四ツ角から右手に曲ると、この通は右側にはラビラントの一部と二部、左側には三部の一区劃が伏在している最も繁華な最も狭い道で、呉服屋もあり、婦人用の洋服屋もあり、洋食屋もある。ポストも立っている。お雪が髪結かみゆいの帰り夕立にって、わたくしの傘の下に駆込んだのは、たしかこのポストの前あたりであった。
 わたくしの胸底には先刻お雪がなかば冗談らしく感情の一端をほのめかした時、わたくしの覚えた不安がまだ消え去らずにいるらしい……わたくしはお雪の履歴については殆ど知るところがない。どこやらで芸者をしていたと言っているが、長唄ながうたも清きよもとも知らないらしいので、それも確かだとは思えない。最初の印象で、わたくしは何のるところもなく、吉原よしわら州崎すさきあたりのさほどわるくない家にいた女らしい気がしたのが、かえって当たっているのではなかろうか。
 言葉には少しも地方のなまりがないが、その顔立と全身の皮膚の綺麗きれいなことは、東京もしくは東京近在の女でない事を証明しているので、わたくしは遠い地方から東京に移住した人たちの間に生れた娘と見ている。性質は快活で、現在の境涯をも深く悲しんではいない。むしろこの境遇から得た経験を資本もとでにして、どうにか身の振方をつけようと考えているだけの元気もあれば才智もあるらしい。男に対する感情も、わたくしの口から出まかせに言う事すら、そのまま疑わずに聴き取るところを見ても、まだ全くすさみきってしまわない事は確かである。わたくしをして、そう思わせるだけでも、銀座や上野辺の広いカフェーに長年働いている女給などに比較したなら、お雪の如きは正直とも醇朴じゆんぼくとも言える。まだまだ真面目な処があるとも言えるであろう。
 端無はしなくも銀座あたりの女給と窓の女とを比較して、わたくしは後者のなお愛すべく、そしてなお共に人情を語る事ができるもののように感じたが、街路の光景についても、わたくしはまた両方を見くらべて、後者の方が浅薄せんぱくに外観の美を誇らず、見掛倒しでない事から不快の念を覚えさせる事が遥に少ない。路傍みちばたには同じように屋台店が並んでいるが、ここでは酔漢の三々五々隊をなして歩むこともなく、彼処かしこでは珍しからぬ血まみれ喧嘩もここでは殆ど見られない。洋服の身なりだけは相応にしていながらその職業の推察しかねる人相の悪い中年者が、世をはばからず肩で風を切り、杖を振り、歌をうたい、通行の女子をののしりつつ歩くのは、銀座のほか他の町には見られぬ光景であろう。しかるに一たび古下駄に古ズボンをはいてこの場末に来れば、いかなる雑沓ざつとうの夜でも、銀座の裏通りを行くよりも危険のおそれがなく、あちこちと道を譲る煩しさもまた少いのである。
 ポストの立っている賑な小道も呉服屋のあるあたりをあかるい絶頂にして、それから先は次第にさむしく、米屋、八百屋、蒲鉾屋かまぼこやなどが目に立って、遂に材木屋の材木が立掛けてあるあたりまで来ると、幾度いくたびとなく来馴れたわたくしの歩みは、意識を持たず、すぐさま自転車預りどころと金物屋との間の路地口に向けられるのである。
 この路地の中にはすぐ伏見稲荷の汚れたのぼりが見えるが、素見すけんぞめきの客は気がつかないらしく、人の出入でいりは他の路地口に比べると至って少ない。これを幸に、わたくしはいつもこの路地口から忍び入り、表通の家の裏手に無花果いちじくの茂っているのと、溝際のさく葡萄ぶどうのからんでいるのを、あたりに似合わぬ風景と見返りながら、お雪の家の窓口をのぞく事にしているのである。
 二階にはまだ客があると見えて、カーテンに灯影ほかげが映り、下の窓はあけたままであった。表のラディオも今しがたんだようなので、わたくしは縁日の植木鉢をそっと窓から中に入れて、その夜はそのまま白髯橋しらひげばしの方へ歩みを運んだ。うしろの方から浅草行の京成けいせいバスが走って来たが、わたくしは停留所ていりゆうじよのある処をよく知らないので、それを求めながら歩きつづけると、幾程いくほどもなく行先に橋の燈火のきらめくのを見た。

        *

 わたくしはこの夏のはじめに稿を起した小説『失踪しつそう』の一篇を今日こんにちに至るまでまだ書き上げずにいるのである。今夜お雪が「三月みつきになるわねえ。」と言ったことから思合せると、起稿の日はそれよりもなお以前であった。草稿の末節は種田順平たねだじゆんぺいが質問の暑さに或夜同宿の女給すみ子を連れ、白髯橋の上で涼みながら、行末の事を語り合うところで終っているので、わたくしは堤を曲らず、まっすぐに橋をわたって欄干に身をせて見た。
 最初『失踪』の布局を定める時、わたくしはその年二十四になる女給すみ子と、その年五十一になる種田の二人が手軽く情交を結ぶことにしたのであるが、筆を進めるにつれて、何やら不自然であるような気がし出したため、折からの炎暑と共に、それなり中休みしていたのである。
 しかるに今、わたくしは橋の欄干にもたれ、下流かわしもの公園から音頭踊おんどおどりの音楽と歌声との響いて来るのを聞きながら、先ほどお雪が二階の窓にもたれて「三月になるわネエ。」といった時の語調や様子を思返すと、すみ子と種田との情交は決して不自然ではない。作者が都合の好いように作り出した脚色としてしりぞけるにも及ばない。最初の立案を中途で変えるほうがかえってよからぬ結果をもたらすかも知れないという心持にもなって来る。
 雷門かみなりもんから円タクをやとって家に帰ると、いつものように顔を洗い髪を掻直した後、すぐさま硯のそばの香炉に香をいた。そして中絶した草稿の末節をよみ返して見る。

「あすこにみえるのは、あれは何だ。工場こうばか。」
瓦斯がす会社かなんかだわ。あの辺はむかし景色のいいところだったんですってね。小説でよんだわ。」
「歩いて見ようか。まだそんなにおそかアない。」
むこうへわたると、すぐ交番があってよ。」
「そうか。それじゃあとへ戻ろう。まるで、悪い事をして世を忍んでいるようだ。」
「あなた。大きな声……およしなさい。」
「……………………」
「どんな人が聞いていないとも限らないし……。」
「そうだね。しかし世を忍んで暮すのは、初めて経験したんだが、何ともいえない、何となく忘れられない心持がするもんだね。」
「浮世離れてッていう歌があるじゃないの。……奥山ずまい。」
「すみちゃん。おれは昨夜ゆうべから急に何だか若くなったような気がしているんだ。昨夜だけでもいきがいがあったような気がしているんだ。」
「人間は気の持ちようだわ。悲観しちまっちゃ駄目よ。」
「全くだね。しかし僕は、なんにしてももう若くないからな。じきに捨てられるだろう。」
「また。そんな事、考える必要なんかないっていうのに。わたしだって、もうすぐ三十じゃないのさ。それにもう、たい事はしちまったし、これからはすこし真面目になって稼いで見たいわ。」
「じゃ、ほんとにおでん屋をやるつもりか。」
「あしたの朝、照ちゃんが来るから手金てきんだけ渡すつもりなの。だから、あなたのお金は当分遣わずに置いて下さい。ね。昨夜も御話したように、それがいいの。」
「しかし、それじゃア……。」
「いいえ。それがいいのよ。あんたの方に貯金があれば、あとが安心だから。わたしの方は持ってるだけのお金をみんな出して、一時払いにして、権利も何もも買ってしまおうと思っているのよ。どの道やるならその方が徳だから。」
「照ちゃんていうのは確な人かい。とにかくお金の話だからね。」
「それは大丈夫。あの子はお金持だもの。何しろ玉の井御殿の檀那だんなっていうのがパトロンだから。」
「それは一体何だ。」
「玉の井で幾軒も店や家を持ってる人よ。もう七十位だわ。精力家よ。そりゃア。時々カフェーへ来るお客だったの。」
「ふーむ。」
「わたしにもおでん屋よりか、やるなら一層の事、あの方の店をやれっていうのよ。店もたまも照ちゃんが檀那にそう言って、いいのを紹介するっていうのよ。だけれど、その時にはわたし一人きりで、相談する人もないし、わたしが自分でやるわけにも行かないしするから、それでおでん屋かスタンドのような、一人でやれるものの方がいいと思ったのよ。」
「そうか、それであの土地をえらんだんだね。」
「照ちゃんは母さんにお金貸をさせているわ。」
「事業家だな。」
「ちゃっかりしてるけれども、人をだましたりなんかしないから。」
 ………………………………………………………………………………

      九

 九月もなかばちかくなったが残暑はすこしも退しりぞかぬばかりか、八月中よりもかえってはげしくなったように思われた。すだれつ風ばかり時にはいかにも秋らしい響を立てながら、それも毎日のように夕方になるとばったりいでしまって、はさながら関西の町にあるが如く、けるにつれてますます蒸暑くなるような日が幾日もつづく。
 草稿をつくるのと、蔵書をさらすのとで、案外いそがしく、わたくしは三日ばかり外へ出なかった。
 残暑の日盛り蔵書を曝すのと、風のない初冬はつふゆ午後ひるすぎ庭の落葉をく事とは、わたくしが独居の生涯の最もたのしみとしている処である。曝書ばくしよは久しく高閣につかねた書物を眺めやって、初め熟読した時分の事を回想し時勢と趣味との変遷を思い知る機会をつくるからである。落葉を焚くたのしみはその身の市井しせいにあることをしばしなりとも忘れさせるが故である。
 古本の虫干だけはやっと済んだので、その日夕飯ゆうめしを終るが否やいつものように破れたズボンに古下駄ふるげたをはいて外へ出ると、門の柱にはもうがついていた。夕凪の暑さにかかわらず、日はいつか驚くばかり短くなっているのである。
 わずか三日ばかりであるが、外へ出て見ると、わけもなく久しい間、行かねばならない処へ行かずにいたような心持がしてわたくしは幾分なりと途中の時間まで短くしようと、京橋の電車の乗換場から地下鉄道に乗った。若い時から遊び馴れた身でありながら、女を尋ねるのに、こんな気ぜわしい心持になったのは三十年来絶えて久しく覚えた事がないと言っても、それは決して誇張ではない。雷門かみなりもんからはまた円タクを走らせ、やがていつもの路地口。いつもの伏見稲荷ふしみいなり。ふとみれば汚れきった奉納ののぼりが四、五本とも皆新しくなって、赤いのはなくなり、白いものばかりになっていた。いつもの溝際どぶぎわに、いつもの無花果いちじくと、いつもの葡萄ぶどう、しかしその葉の茂りはすこし薄くなって、いくら暑くとも、いくら世間から見捨てられたこの路地にも、秋は知らず知らず夜ごとに深くなって行く事を知らせていた。
 いつもの窓に見えるお雪の顔も、今夜はいつもの潰島田つぶしではなく、銀杏返いちようがえししに手柄てがらをかけたような、牡丹ぼたんとかよぶまげに変っていたので、わたくしはこなたから眺めて顔ちがいのしたのを怪しみながら歩み寄ると、お雪はいかにもじれったそうにとびらをあけながら、「あなた。」と一言ひとこと強く呼んだ後、急に調子を低くして、「心配したのよ。それでも、まア、よかったねえ。」
 わたくしは初めその意を解しかねて、下駄もぬがず上口あがりぐちへ腰をかけた。
「新聞に出ていたよ。少し違うようだから、そうじゃあるまいと思ったんだけれど、随分心配したわ。」
「そうか。」やっとあてがついたので、わたくしもにわかに声をひそめ、「おれはそんなドジなまねはしない。始終気をつけているもの。」
「一体、どうしたの。顔を見れば別に何でもないんだけれど、来る人が来ないと、何だか妙にさびしいものよ。」
「でも、雪ちゃんは相変らずいそがしいんだろう。」
「暑いうちは知れたものよ。いくらいそがしいたって。」
「今年はいつまでも、ほんとに暑いな。」といった時お雪は「ちょいとしずかに。」といいながらわたくしの額にとまった蚊を掌でてのひらおさえた。
 家の内の蚊は前よりも一層多くなったようで、人を刺すその針も鋭く太くなったらしい。お雪は懐紙ふところがみでわたくしの額と自分の手についた血をふき、「こら。こんな。」といってその紙を見せてまるめる。
「この蚊がなくなれば年の暮だろう。」
「そう。去年お酉様とりさまの時分にはまだいたかも知れない。」
「やっぱり反歩たんぼか。」ときいたが、時代の違っている事に気がついて、「この辺でも吉原よしわらの裏へ行くのか。」
「ええ。」といいながらお雪はチリンチリンと鳴る鈴のを聞きつけ、立って窓口へ出た。
「兼ちゃん。ここだよ。何ボヤボヤしているのさ。水白玉二つ……それから、ついでに蚊遣香かやりこうを買って来ておくれ。いい児だ。」
 そのまま窓に坐って、通り過る素見客ひやかしにからかわれたり、またこっちからもからかったりしている。その間々には中仕切なかじきり大阪格子おおさかごうしを隔てて、わたくしの方へも話をしかける。氷屋の男がお待遠うといってあつらえたものを持って来た。
「あなた。白玉なら食べるんでしょう。今日はわたしがおごるわ。」
「よく覚えているなア。そんな事……。」
「覚えてるわよ。じつがあるでしょう。だからもう、そこら中浮気するの、お止しなさい。」
此処ここへ来ないと、どこか、わきうちへ行くと思ってるのか。仕様がない。」
「男は大概そうだもの。」
「白玉が咽喉のどへつかえるよ。食べる中だけ仲好くしようや。」
「知らない。」とお雪はわざと荒々しくさじの音をさせて山盛にした氷を突崩した。
 窓口をのぞいた素見客が、「よう、姉さん、御馳走さま。」
「一つあげよう。口をおあき。」
「青酸加里か。命が惜しいや。」
「文無しのくせに、聞いてあきれらア。」
「何いってやんでい。溝ッ蚊女郎。」と捨台詞すてぜりふで行き過るのをこっちも負けていず、
「へッ。芥溜野郎ごみためやろう。」
「はははは。」と後から来る素見客がまた笑って通り過ぎた。
 お雪は氷を一匙口へ入れては外を見ながら、無意識に、「ちょっと、ちょっと、だーんな。」と節をつけて呼んでいる中、立止って窓を覗くものがあると、甘えたような声をして、「お一人、じゃ上ってよ。まだ口あけなんだから。さア、よう。」と言って見たり、また人によっては、いかにも殊勝らしく、「ええ。構いません。お上りになってから、お気に召さなかったら、お帰りになっても構いませんよ。」と暫くしばらくの間話をして、その挙句これも上らずに行ってしまっても、お雪は別につまらないという風さえもせず、思出したように、解けた氷の中から残った白玉をすくい出して、むしゃむしゃ食べたり、煙草をのんだりしている。
 わたくしは既にお雪の性質を記述した時、快活な女であるとも言い、またその境涯をさほど悲しんでいないと言った。それは、わたくしが茶の間の片隅に坐って、破団扇やれうちわの音もなるべくしないように蚊を追いながら、お雪が店先に坐っている時の、こういう様子を暖簾のれんの間からすかし見て、それから推察したものに外ならない。この推察は極く皮相にとどまっているかも知れない。為人ひととなりの一面を見たに過ぎぬかも知れない。
 しかしここにわたくしの観察の決して誤らざる事を断言し得る事がある。それはお雪の性質の如何いかんにかかわらず、窓の外の人通りと、窓の内のお雪との間には、互に融和すべき一縷いちるの糸のつながれていることである。お雪が快活の女で、その境涯をさほど悲しんでいないように見えたのが、もしわたくしの誤りであったなら、その誤はこの融和から生じたものだと、わたくしは弁解したい。窓の外は大衆である。即ち世間である。窓の内は一個人である。そしてこの両者の間には著しく相反目している何者もない。これはなんによるのであろう。お雪はまだ年が若い。まだ世間一般の感情を失わないからである。お雪は窓に坐っている間はその身を卑しいものとなして、別に隠している人格を胸の底に持っている。窓の外を通る人はその歩みをこの路地に入るるや仮面をぬぎ矜負きようふを去るからである。
 わたくしは若い時から脂粉のちまたに入り込み、今にその非を悟らない。或時は事情に促われて、彼女かのおんなたちの望むがまま家にれて箕帚きそうれせたこともあったが、しかしそれは皆失敗に終った。彼女たちは一たびその境遇を替え、その身を卑しいものではないと思うようになれば、一変して救うべからざる懶婦らんぷとなるか、しからざれば制御しがたい悍婦かんぷになってしまうからであった。
 お雪はいつとはなく、わたくしの力によって、境遇を一変させようと心を起している。懶婦か悍婦になろうとしている。お雪の後半生こうはんせいをして懶婦たらしめず、悍婦たらしめず、真に幸福なる家庭の人たらしめるものは、失敗の経験にのみ富んでいるわたくしではなくして、前途になお多くの歳月を持っている人でなければならない。しかし今、これを説いてもお雪には決して分ろうはずがない。お雪はわたくしの二重人格の一面だけしか見ていない。わたくしはお雪のうかがい知らぬ他の一面を曝露ばくろして、その非を知らしめるのは容易である。それを承知しながら、わたくしがなお躊躇ちゆうちよしているのは心に忍びないところがあったからだ。これはわたくしをかばうのではない。お雪が自らその誤解をさとった時、甚しはなはだく失望し、甚しく悲しみはしまいかということをわたくしは恐れていたからである。
 お雪はみつかれたわたくしの心に、偶然過去の世のなつかしい幻影を彷彿ほうふつたらしめたミューズである。久しく机の上に置いてあった一篇の草稿はもしお雪の心がわたくしの方に向けられなかったなら、――少くともそういう気がしなかったなら、既に裂き棄てられていたに違いない。お雪は今の世から見捨てられた一老作家の、他分そが最終の作とも思われる草稿を完成させた不可思議な激励者である。わたくしはその顔をみるたび心から礼を言いたいと思っている。その結果から論じたら、わたくしは処世の経験に乏しい彼の女を欺き、その身体しんたいのみならずその真情をも弄んもてあそだ事になるであろう。わたくしはこの許され難い罪の詫びをしたいと心ではそう思いながら、そうする事の出来ない事情を悲しんでいる。
 その夜、お雪が窓口で言った言葉から、わたくしの切ない心持はいよいよ切なくなった。今はこれを避けるためには、重ねてその顔を見ないに越したことはない。まだ、今の中ならば、それほど深い悲しみと失望とをお雪の胸に与えずとも済むであろう。お雪はまだその本名をもその生立おいたちをも、問われないままに、打明うちあける機会にわなかった。今夜あたりがそれとなく別れを告げる瀬戸際で、もしこれを越したなら、取返しのつかない悲しみを見なければなるまいというような心持が、夜のふけかけるにつれて、わけもなく激しくなって来る。
 物におわれるようなこの心持は、折から急に吹出した風が表通から路地に流れ込み、あちらこちらへ突当った末、小さな窓から家の内まで入って来て、鈴のついた納簾のひもをゆする。その音につれて一しお深くなったように思われた。その音は風鈴売が欞子窓れんじまどの外を通る時ともちがって、この別天地より外には決して聞かれないものであろう。夏の末から秋になっても、打続く毎夜のあつさに今まで全く気のつかなかっただけ、その響は秋の夜もいよいよまったくの夜長らしくけそめて来た事を、しみじみと思い知らせるのである。気のせいか通る人の跫音あしおとも静にえ、そこらの窓でくしゃみをする女の声も聞える。
 お雪は窓から立ち、茶の間へ来て煙草へ火をつけながら、思出したように、
「あなた。あした早く来てくれない。」といった。
「早くって、夕方か。」
「もっと早くさ。あしたは火曜日だから診察日なんだよ。十一時にしまうから、一緒に浅草へ行かない。四時頃までに帰って来ればいいんだから。」
 わたくしは行ってもいいと思った。それとなく別盃べつぱいむために行きたい気はしたが、新聞記者と文学者とに見られてまたもや筆誅ひつちゆうせられる事を恐れもするので、
「公園は具合のわるいことがあるんだよ。何か買うものでもあるのか。」
「時計も書いたいし、もうすぐあわせだから。」
「あついあついと言ってる中、ほんとにもうじきお彼岸だね。袷はどのくらいするんだ。店で着るのか。」
「そう。どうしても三十円はかかるでしょう。」
「そのくらいなら、ここに持っているよ。一人で行ってあつらえておいでな。」と紙入を出した。
「あなた。ほんと。」
「気味がわるいのか。心配するなよ。」
 わたくしは、お雪が意外のよろこびに眼を見張ったその顔を、永く忘れないようにじっと見詰めながら、紙入の中の紙幣さつを出して茶ぶ台の上に置いた。
 戸を叩く音と共に主人の声がしたので、お雪は何か言いかけたのも、それなり黙って、伊達締だてじめの間に紙幣を隠す。わたくしはと立って主人あるじと入れちがいに外へ出た。
 伏見稲荷の前まで来ると、風は路地の奥とはちがって、表通から真向まつこうに突き入りいきなりわたくしの髪を吹乱した。わたくしは此処へ来る時の外はいつも帽子をかぶり馴れているので、風に拭きつけられたと思うと同時に、片手を挙げて見て始て帽子のないのに心づき、覚えず苦笑を浮べた。奉納ののぼりは竿も折れるばかり、路地口に屋台を据えたおでん屋の納簾のれんと共にちぎれて飛びそうにひらめ翻っひるがえている。溝の角の無花果と葡萄の葉は、廃屋のかげになった闇の中にがさがさと、既に枯れたような響を立てている。表通りへ出ると、にわかに広く打仰がれる空には銀河の影のみならず、星という星の光のいかにも森然しんぜんとして冴渡さえわたっているのが、言知れぬさびしさを思わせる折も折、人家のうしろを走り過る電車の音と警笛の響とが烈風にかすれて、更にこの寂しさを深くさせる。わたくしは帰りの道筋を、白髯橋しらひげばしの方に取る時には、いつも隅田町郵便局のあるあたりか、または向島むこうじま劇場という活動小屋のあたりから勝手に横道に入り、陋巷ろうこうの間を迂曲うきよくする小道を辿たどりり辿って、結局白髯明神の裏手へ出るのである。八月の末から九月の初めにかけては、時々夜になって驟雨ゆうだちれたあと、澄みわたった空には明月が出て、道もあかるく、むかしの景色も思出されるので、知らず知らず言問ことといおかあたりまで歩いてしまうことが多かったが、今夜はもう月もない。吹き通す川風もたちまち肌寒くなって来るので、わたくしは地蔵坂の停留場ていりゆうばに行きつくが否や、待合所の板バメと地蔵尊との間に身をちぢめて風をよけた。

      十

 四、五日たつと、あの夜をかぎりもう行かないつもりで、秋あわせだいまで置いて来たのにもかかわらず、何やらもう一度行って見たい気がして来た。お雪はどうしたか知ら。相変らず窓に坐っている事はわかりきっていながら、それとなく顔だけ見に行きたくて堪らない。お雪には気がつかないように、そっと顔だけ、様子だけのぞいて来よう。あの辺を一巡ひとまわりして帰って来れば隣のラディオも止む時分になるのであろうと、罪をラディオに塗付けて、わたくしはまたもや墨田川を渡って東の方へ歩いた。
 路地にる前、顔をかくすため、鳥打帽を買い、素見客ひやかしが五、六人来合すのを待って、その人たちの蔭に姿をかくし、どぶのこなたからお雪の家をのぞいて見ると、お雪は新型のまげを元のつぶしに結い直し、いつものように窓に坐っていた。と見れば、同じ軒の下の右側の窓はこれまで閉めきってあったのが、今夜はあかるくなって、燈影ほかげの中に丸髷の顔が動いている。新しいかかえ――この土地では出方でかたさんとかいうものが来たのである。遠くからでくはわからないが、お雪よりは年もとっているらしく容貌きりようもよくはないようである。わたくしは人通りに交って別の路地へ曲った。
 その夜はいつもと同じように日が暮れてから急に風がいで蒸暑くなったためか、路地の中の人出もまた夏の夜のように夥しおびただく、曲る角々かどかどは身を斜めにしなければ通れぬほどで、流れる汗と、息苦しさとに堪えかね、わたくしは出口を求めて自動車のせちがう広小路へ出た。そして夜店の並んでいない方の舗道を歩み、実はそのまま帰るつもりで七丁目の停留場ていりゆうば佇立たたずんで額の汗を拭った。車庫からわずか一、二町のところなので、人の乗っていない市営バスがあたかもわたくしを迎えるように来てとまった。わたくしは舗道から一歩ひとあし踏み出そうとして、何やら急にわけもわからず名残惜なごりおしい気がして、またぶらぶら歩き出すと、間もなく酒屋の前の曲角まがりかどにポストの立っている六丁目の停留場である。ここには五、六人の人が車を待っていた。わたくしはこの停留場でも空しく三、四台の車を行きすごさせ、ただ茫然として、白楊樹の立ちならぶ表通と、横町の角に沿うた広い空地あきちの方を眺めた。
 この空地には夏から秋にかけて、ついこの間まで、初めは曲馬きよくば、次には猿芝居、その次には幽霊の見世物小屋が、毎夜さわがしく蓄音機を鳴し立てていたのであるが、いつの間にか、もとのようになって、あたりの薄暗い灯影ほかげ水溜みずたまりおもてに反映しているばかりである。わたくしはとにかくもう一度お雪をたずねて、旅行をするからとか何とか言って別れよう。その方がいたちの道を切ったような事をするよりは、どうせ行かないものなら、お雪の方でも後々あとあとの心持がわるくないであろう。出来ることなら、まことの事情を打明けてしまいたい。わたくしは散歩したいにもその処がない。尋ねたいと思う人は皆先に死んでしまった。風流弦歌のちまたも今では音楽家と舞踊家との名を争う処で、年寄が茶をすすってむかしを語る処ではない。わたくしは図らずもこのラビラントの一隅において浮世半日ふせいはんじつの閑をぬすむ事を知った。そのつもりで邪魔でもあろうけれど折々遊びに来る時は快く上げてくれと、晩蒔おそまきながら、わかるように説明したい……。わたくしは再び路地へ入ってお雪の家の窓に立寄った。
「さア、お上んなさい。」とお雪は来るはずの人が来たという心持を、その様子と調子とに現したが、いつものように下の茶の間には通さず、先に立って梯子はしごを上るので、わたくしも様子を察して、
「親方がいるのか。」
「ええ。おかみさんも一緒……。」
「新奇のが来たね。」
「御飯たきのばアやも来たわ。」
「そうか。急ににぎやかになったんだな。」
しばらく独りでいたら、大勢だと全くうるさいわね。」急に思出したらしく、「この間はありがとう。」
いのがあったか。」
「ええ。明日あしたあたり出来てくるはずよ。伊達締だてじめも一本買ったわ。これはもうこんなだもの。後で下へ行って持ってくるわ。」
 お雪は下へ降りて茶を運んで来た。しばらく窓に腰をかけて何ともつかぬ話をしていたが、主人あるじ夫婦は帰りそうな様子もない。そのうち梯子の降口おりくちにつけた呼鈴が鳴る。馴染なじみの客が来た知らせである。
 うちの様子が今までお雪一人の時とは全くちがって、長くはいられぬようになり、お雪の方でもまた主人の手前を気兼しているらしいので、わたくしは言おうと思った事もそのまま、半時間とはたたぬ中戸口を出た。
 四、五日過ると季節は彼岸に入った。空模様はにわかに変って、南風なんぷうに追われる暗雲の低く空を行き過る時、大粒の雨はつぶてを打つように降りそそいではたちまむ。夜を徹して小息おやみもなく降りつづくこともあった。わたくしが庭の葉雞頭はげいとうは根もとから倒れた。萩の花は葉と共に振り落され、既に実を結んだ秋海棠しゆうかいどうあかい茎は大きな葉をがれて、痛ましく色がせてしまった。濡れたと枯枝とに狼藉ろうぜきとしている庭のさまを生き残った法師蝉ほうしぜみ蟋蟀こおろぎとが雨のれま霽れまに嘆き弔うばかり。わたくしは年々秋風秋雨に襲われたのちの庭を見るたびたび『紅楼夢こうろうむ』の中にある秋窓風雨夕しゆうそうふううのゆうべと題された一篇の古詩を思起す。
   秋  ハ さん 淡 たんトシテ秋  ハ  ナリ
   こう 耿 こうタル秋 燈 秋  ハ  シ
    ニ  ス 秋  ニ  ノ 不 尽。 キザルヲ
   那 イカンゾ堪 たえンヤ風  ノ 助  クルヲ凄 せいりよう
   助  クルノ ヲ 風  ハ 来  ルコト ゾ  すみやかナルヤ
   驚  ス 秋 窓 秋  ノ 緑。 ナルヲ
   ………………………………
 そして、わたくしは毎年同じように、とても出来ぬとは知りながら、何とかうまく翻訳して見たいと思い煩うのである。
 風雨のうちに彼岸は過ぎ、天気がからりと晴れると、九月の月も残り少く、やがてその年の十五夜になった。
 前の夜もふけそめてから月が好かったが、十五夜の当夜には早くから一層曇りのない明月を見た。
 わたくしがお雪の病んで入院していることを知ったのはその夜である。雇婆やといばばから窓口で聞いただけなので、病の何であるのかも知る由がなかった。
 十月になると例年よりも寒さが早く来た。既に十五夜の晩にも玉の井稲荷いなりの前通の商店に、「皆さん、障子張りかえの時が来ました。サービスに上等ののりを進呈。」とかいた紙が下っていたではないか。最早もはや素足に古下駄を引摺ひきずり帽子もかぶらず夜歩きをする時節ではない。隣家となりのラディオも閉めた雨戸に遮られて、それほどわたくしを苦しめないようになったので、わたくしは家にいてもどうやら燈火に親しむことができるようになった。

      *

 「濹東綺譚ぼくとうきだん」はここに筆をくべきであろう。しかしながらもしここに古風な小説的結末をつけようと欲するならば、半年あるいは一年の後、わたくしが偶然思いがけない処で、既に素人しろうとになっているお雪にめぐり逢う一節を書添えればよいであろう。なおまた、この偶然の邂逅かいこうをして更に感傷的ならしめようと思ったなら、れちがう自動車とかあるいは列車の窓から、互に顔を見合しながら、言葉を交したいにも交すことの出来ない場面を設ければよいであろう。楓葉荻花ふうようてきか秋は瑟々しつしつたる刀禰河とねがわあたりの渡舟わたしぶねで摺れちがう処などは、殊に妙であろう。
 わたくしとお雪とは、互にその本名もその住所も知らずにしまった。ただ墨東の裏町、蚊のわめく溝際の家でしたしんだばかり。一たび別れてしまえば生涯相逢うべき機会も手段もない間柄である。軽い恋愛の遊戯とはいいながら、再会の望みなき事を初めから知りぬいていた別離の情は、強いてこれを語ろうとすれば誇張に陥り、これを軽々けいけいに叙し去れば情を尽さぬうらみがある。ピエールロッチの名著『阿菊おきくさん』の末段は、這般しやはんの情緒を描き尽し、人をして暗涙を催さしむる力があった。わたくしが『濹田綺譚』の一篇に小説的色彩を添加しようとしても、それは徒にいたずらロッチの筆を学んで至らざるの笑を招くに過ぎぬかも知れない。
 わたくしはお雪が永く溝際の家にいて、極めて廉価にそのこびを売るものでない事は、何のいわれもなく早くからこれを予想していた。若い頃、わたくしは遊里の消息に通暁した老人から、こんな話をきかされたことがあった。これほど気に入った女はない。早く話をつけないと、ほかのお客に見受けをされてしまいはせぬかと思うような気がすると、その女はきっと病気で死ぬか、そうでなければ突然いやな男に見受けをされて遠い国へ行ってしまう。何の訳もない気病みというものは不思議に当たるものだという話である。
 お雪はあの土地の女には似合わしからぬ容色と才智とを持っていた。雞群けいぐん一鶴いつかくであった。しかし昔と今とは時代がちがうから、病むとも死ぬような事はあるまい。義理にからまれて思わぬ人に一生を寄せる事もあるまい。……。
 建込んだ汚らしい家の屋根つづき。風雨あらしの来る前の重苦しい空に映る燈影を望みながら、お雪とわたくしとは真暗な二階の窓にって、互に汗ばむ手を取りながら、ただそれともなく謎のような事を言って語り合った時、突然ひらめき落ちる稲妻に照らされたその横顔。それは今もなおありありと目に残って消去らずにいる。わたくしは二十はたちの頃から恋愛の遊戯に耽ったが、しかしこの老境に至って、このような痴夢ちむを語らねばならないような心持になろうとは。運命の人を揶揄やゆすることもまた甚しいではないか。草稿の裏にはなお数行の余白がある。筆の行くまま、詩だか散文だか訳のわからぬものを書してこの夜のうれいを慰めよう。

   残る蚊にひたいさされしわが血汐ちしお
   ふところ紙に
   君はぬぐひて捨てし庭の隅。
   葉雞頭はげいとう一茎ひとくき立ちぬ。
   夜ごとの霜のさむければ、
   夕暮の風をも待たで、
   倒れ死すべき定めも知らず、
   にしきなす葉のしおれながらに
   色増す姿ぞいたましき。
   病める蝶ありて
   きずつきし翼によろめき、
   かえり咲く花とうたがふ雞頭の
   倒れ死すべきその葉かげ。
   宿かる夢も
   結ぶにひまなき晩秋おそあき
   たそがれ迫る庭の隅。
   君とわかれしわが身ひとり、
   倒れ死すべき雞頭の一茎と
   ならびて立てる心はいかに。
                   丙子ひのえね十月卅日脱稿

――――――――――――――――――――――

底本:「濹東綺譚」岩波文庫、岩波書店
   1991年7月16日改版第41刷発行
   1992年5月15日  第44刷発行

本ページは㈱ふたみのテキストエディタ『原稿エディタ』で入力・作成しました。本ページの再配布は自由ですが、この部分も含め、改ざんしないよう、お願いします。